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ことだま日記

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人道の港「敦賀ムゼウム」

              杉原千畝と「命のビザ」

 福井の友人に招かれて、若狭湾の「三方五湖」や奇跡の湖「水月湖の年縞(ねんこう」の資料館を案内していただき、最後に敦賀の人道の港「敦賀ムゼウム」を見学しました。
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 中でも特に感動したのが、1940年(昭和15年)の頃、リトアニアのカウナス日本領事館の領事代理をしていた、杉原千畝(ちうね)外交官の「命のビザの物語」の資料でした。
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 杉原千畝外交官が領事代理になった頃は、ユダヤ人に対するナチス・ドイツの迫害が激しくなり、ドイツ占領下のポーランドをはじめ、ナチス・ドイツの影響の強い地域から逃れてきたユダヤ人の対処が国際問題となっていました。
 日本では、ユダヤ人に限らず、避難先の国の入国許可を得てない者に対する通過ビザを発給しない方針を決めていました。
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 1940年の早朝、ユダヤ人難民たちはナチスの迫害から逃れるため、リトアニアの日本領事館に日本通過ビザを求め押し寄せました。しかし、当時の日本外務省は、杉原千畝領事代理にビザ発給を許可しませんでした。
 彼は悩み苦しんだ末、外務省に背いてビザ発給を決断しました。ビザを手に入れたユダヤ人難民は、シベリア鉄道の道中でも所持品の強奪や強制連行といった憂き目にあいます。そうした過酷な運命に翻弄されながら、彼らはやっとの思いで敦賀にたどり着きました。
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 敦賀の港は、1940年に「命のビザ」を持ったユダヤ人難民が上陸した日本唯一の港でした。「東洋の波止場」とうたわれた敦賀港は「人道の港」でもありました。 ポーランド孤児763人は、敦賀の人たちからも温かく迎え入れられました。杉原千畝と敦賀の人たちの心温まる感動のドラマが敦賀ムゼウム(資料館)にはあり、感動しました。
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 龍谷大学の同窓会を機会に、若狭の友人夫妻にお世話になり、若狭湾一帯の観光と文化に触れる充実した2泊3日の旅でした。

by butda2 | 2015-10-24 14:00