ことだま日記

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隠れ念仏者・大魯(だいろ)を訪ねて

         念仏禁制の薩摩の地に念仏を広めた大魯を訪ねて
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 幕末から明治の初めには、薩摩半島から多くの職人(鍛冶屋、石工、桶屋、竹細工職人などの技術者)が大隅半島に移住してきたが、これらの職人の中には、熱心な真宗信者がおり、彼らはそれぞれの仕事をしながら、密かに念仏の教えを説き、広めていった。
 その中に、念仏禁制の厳しかった幕末、志布志市の山間地に、旧吹上町永吉から石工として移住してきて、真宗の教えを密かに広めた井久保次郎左エ門と、その子、喜次郎がいた。 
 ところが、最近になって「吹上の民話」(昭和57年、増田逸彦氏著)に、「大魯和尚」「隠れ念仏遺跡」などに続いて、隠れ念仏者として伊集院の仕置場で拷問を受けたといはれる「井久保竜蔵の受難」のことが記されてあった。
 この記述によると、井久保竜蔵は、吹上町永吉草田の井久保門(集落)の出で、幕末に真宗の学僧で、当時本願寺の教学上の論争事件(「三業惑乱」)に敗れて、熊本や天草を経て吹上の地に逃れて来た「大魯」(だいろ)の教えを熱心に受けていた。この大魯は、終焉の地とした吹上においても自分の教学上の信念を曲げず、薩摩半島一円に「細布講」(ほそぶこう)や「煙草講」などの隠れ念仏の講を結んで、密かに念仏の教えを命がけで布教した。
 井久保竜蔵と志布志に移住した井久保次郎左エ門の系図は定かではないが、両氏が同じ門(かど)の出であることからして、共に大魯和尚の教化を受けていたであろうことが理解できる。さらに、井久保次郎左エ門親子は、念仏禁制の解かれてない志布志の山間地において、熱心に真宗の布教活動を行い、やがて念仏禁制が解かれた後、現在の「専念寺」の建立に尽力した。
 大魯の教えは、薩摩半島のみならず、大隅半島にまでその教えが伝えられたことに思いをいたし、今回、大魯和尚の墓のある吹上町永吉の光専寺と井久保家を、専念寺住職、総代、それに、井久保家の末裔と一緒に訪ねることにした。
 旧吹上町や知覧町、頴娃町を中心にした多くの寺院は大魯和尚の影響が大きいが、吹上の井久保家など、薩摩半島から移り住んだ職人たちによって、大隅半島にまでその教化が及んでいたことを再認識させられた。
 ただ、現在の井久保家はすでに吹上町からは転出されて、一軒だけ井久保家の表札のある空き家を見ることができました。
 今でも大魯和尚の墓のある光専寺には、薩摩半島各地からはもちろん、遠くは天草や屋久島からもお参りがあると言う。d0298869_21391952.jpgv> 何時までも吹上の地をもとに、命がけで布教した「大魯和尚」の業績を伝えていくように願いたい。
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by butda2 | 2015-11-07 21:32 | Trackback
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