ことだま日記

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薩摩の隠れ念仏

             大魯和尚の教えが今も
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 幕末に本願寺に起こった教義上の問題「三業惑乱(さんごうわくらん)」の論争に破れた大魯和尚は、難を逃れて薩摩の地に身を隠しながら、浄土真宗の教えを広めた。その功績を偲んで、南日本新聞の「ひろば」に投稿し、先日掲載されたので再掲いたします。
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     「大隅の地に大魯の教えが今も」(H29、2、23掲載)
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 「さつま人国誌」の「大魯和尚の来薩」を読んだ。薩摩藩の一向宗禁制下で、浄土真宗の布教を熱心に行った大魯和尚の功績について、再認識させられた。
 大魯が来薩にいたった経緯については記述されている通りである。本願寺の信仰のあり方を問う「三業惑乱」に連座して、追放されたことに起因している。肥後を経て薩摩の各地に身を潜めたが、最後は旧吹上町の永吉で「細布講(ほそぶこう)」や「煙草講(たばここう)」等を組織し、ひそかに教化に努めたようである。
 私は以前、吹上町の文化財審議委員をした増田逸彦著の「吹上の民話」を読んだ。念仏禁制の中、大魯が民衆に念仏の教えを広めたというその中に、教化を受けた一人、井久保竜蔵が伊集院の仕置き場で拷問を受けたという記述があつた。
 明治の初めごろ、永吉から旧志布志町田之浦に石工として移住し、この地に念仏の教えを広めた井久保次郎左エ門は、一族ではないかといわれている。 一昨年、井久保家の子孫と一緒に、大魯の墓に参った。井久保家を訪ねたが既に住む人がなく墓参しかできなかった。大魯の教えが大隅の地に今もなおいぶいていることを思い起こし、その功績の偉大さをしのぶことができた。       (以 上) 

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by butda2 | 2017-03-01 14:03 | Trackback
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