ことだま日記

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朝に礼拝 夕べに感謝

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                専念寺のお内仏
 どこの家庭にも「お仏壇」があるように、お寺にも本堂だけでなく庫裡(くり=寺の居間)には、家庭と同様、仏壇があります。これを「お内仏」とよばれています。
 写真は専念寺のお内仏ですが、もちろん、伊勢堀院にもお内仏があります。

 寺では、朝晩、本堂での勤行(おつとめ)だけでなく、お内仏でもおつとめ(読経)をいたします。
勤行の前に、朝炊いたご飯を先ず仏前に供えます。これを「お仏飯(おぶっぱん)」といいます。
家庭では、朝ご飯を炊かないこともありますが、いつでも、ご飯を炊いたときは、先ず仏前に供えるようにするのが、仏教徒としてのたしなみです。

 よく「朝に礼拝 夕べに感謝」といいます。一日のはじまりは、先ず仏壇(仏さま)に参り、手を合わせ、今日1日をみ仏の教えに従い、精一杯生きていくことを心に念ずることが大切です。そして、今日1日の終わりには、今日1日を精一杯生かされたことを感謝することが何より大切です。

 信仰の生活は、1日1日を精一杯生きて、生かされている自分に感謝し、同時に仏さまに、お蔭でしたと感謝することではないでしょうか。
 そのような人生が、本当の幸せな人生ではないでしょうか。
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by butda2 | 2013-07-31 06:39 | 山寺の仏たち | Trackback

シオカラトンボ

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              少なくなったシオカラトンボ 
 あんなにたくさんいた種々なトンボたちが、最近は激減しています。
 夏は、どこにでもいたシオカラトンボをなかなか見かけません。

 シオカラトンボとは、成熟して水色になったオスに付けられた名前で、メスは茶色で、俗にムギワラトンボと呼ばれています。

 山地から住宅地に至る、池、湿地、水田、水溜まりなど、あらゆる環境で発生して、各地に普通に見られる、最もなじみ深いトンボの一つですなのですが、どうしてか最近は見かけません。
 いつもであれば、メダカの池に来るので、竿を立てて数日待っていました。ようやく飛来して竿に止まってくれました。急いでカメラにおさめましたが、暫くすると姿を消して、なかなか来ません。

 近くの田んぼに行っても、ほとんどトンボを見かけられなくなりました。
 ただ、ウスバキトンボだけは、かろうじて我が家の庭を飛び交っています。
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by butda2 | 2013-07-30 06:54 | 山寺の風景 | Trackback

親鸞聖人の銅像

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              伊勢堀院境内に建つ親鸞聖人の銅像
 専念寺の開基住職(釋専心ー平成元年往生)の7回忌法要を記念して、初代坊守(一木しずー平成
10年往生)が、平成7年に寄進して建立した親鸞聖人の銅像です。
 伊勢堀院は、平成5年に、納骨堂建設に着手し、翌年に5月に完成しましたが、境内に建つ初めての記念碑です。

 初代坊守の一木しず(現住職の母)は豊前(大分県中津)の生まれで、信仰に篤く、親鸞聖人のみ教えをこころの拠り所として、念仏を悦ぶ人でありました。
 生前、自らの信仰を吐露して詠ったものを紹介します。
 「何ごとも みなみ仏にまかす身は こころにかかる 言の葉もなし」
 「うれしやな このきものままみ仏に 抱かれまいる 華の浄土に」
 「み仏に 召されて逝きし吾が夫(つま)の あとを慕いて 今にゆかなむ」

 親鸞聖人は、「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り、腹立ち、そねみ、ねたむ心おおくひまなくして、臨終のいちねんにいたるまで止まらず、消えず、絶えず」と言っていますが、そのような凡夫こそ救いたいという弥陀の本願を説きました。

 この教えに帰依し、念仏を悦んで生涯を生き抜いたのが、一木しずでした。今年の8月で、没後15年になります。
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by butda2 | 2013-07-29 09:36 | 伊勢堀院たより | Trackback

鮮やかに咲くモミジアオイ

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              わずか1日だけ咲くモミジアオイ
 毎年、7月の終わりに、モミジアオイはハイビスカスのような真っ赤な花を咲かせます。

 モミジアオイは、アオイ科の宿根草で、同じ科のフヨウに似ています。ただ、花弁が離れて咲いています。葉がモミジのような形をしていることから、モミジアオイという名がついたようです。

 モミジアオイの命は短く、朝咲いて夕方には萎んでしまう、たった1日だけの短命の花です。
 それでも、そんなことは気にもせず、今日1日を精一杯輝いて咲いています。
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by butda2 | 2013-07-28 06:54 | 寺を彩る植物たち | Trackback

戦没者追悼法要

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                献花する戦没者遺族
 専念寺では、戦没者追悼法要を、毎年7月の第3土曜日に、戦没者の遺族や関係者により厳修しています。
 今年も本日、7月27日(土)午前10時より、大勢の関係者家族が参詣されて、読経の中、参列者全員が、焼香ならびに献花をし、住職の法話を聴聞、みんなで仏教唱歌「み仏に抱かれて」を斉唱して終わりました。

 今年で戦後68年になります。遺族の方々も高齢者の方々が多くなりましたが、中には孫の方も詣っていだだいています。
 戦没者の大半が20代で、国のために尊い命を散華しておられます。
 戦後の日本は今日、未曾有の発展を遂げ、ややもすると悲惨なあの戦争の犠牲者を忘れて、贅沢な生活を送っているのではないでしょうか。
 そうした現状を顧みて、年に1回、戦没者追悼の法要を行い、戦争犠牲者に対する哀悼の誠を表すことは大切なことではないかと思います。

 法要の終わりに、参列者の一人の方が、戦没者を偲んで軍歌を唄ってくださいましたが、中には聞きながら涙しておられる方もいました。
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by butda2 | 2013-07-27 21:06 | 山寺の行事 | Trackback

自生しているイワタバコ

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              前川の上流に自生しているイワタバコ
 園芸種のイワタバコの花を紹介したのは5月22日でした。あれから2か月以上も過ぎているので、自然に自生しているイワタバコも、そろそろ花が咲いているのではないかと思い、前川の上流に行ってみました。

 前川は、志布志の山間地を源流にして、志布志湾に流れています。つまり、前川は志布志だけを流れる川ですが、他の川などに比べて比較的汚染されていない川として、市民から大切にされています。

 前川の源流に近い岩場に着生しているイワタバコが、花を咲かせているのではないかと期待して、タブレットを持って行ってみたら、ご覧のとおり、まだ蕾も見れませんでした。

 イワタバコは、「イワチシャ」とも呼ばれ、食用にもなるそうです。私はまだ食べたことはありませんが、そういえば、よく見るとみずみずしい新鮮な食用の葉っぱに見えます。 
 いつか食してみたいと思いますが、家内が何と言うか?

 花が咲いたら、また、ブログに掲載いたします。
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by butda2 | 2013-07-26 06:04 | Trackback

念仏に生きた中村久子

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             親鸞聖人絵像と中村久子の歌
 浄土真宗の開祖、親鸞聖人の教えに生きた「中村久子」の生涯について、その概略を紹介します。
 中村久子(1897~1968)は、明治30年飛騨高山市に生まれました。3歳の時、霜焼けがもとで「突発性脱疽(だっそ)」という病気にかかり、両手、両足を失ってしまいました。
 両手、両足の切断というハンデにも拘わらず、自立した生活を送った女性として知られていますが、その陰には、彼女のために厳しいしつけをした母がいました。
 縫い物、編み物、筆を口にくわえて文字を書くなど、あらゆるしつけを受けました。こうした努力が実って、彼女が20歳のと時、見せ物興行に身をおいて、「だるま娘」という看板芸人として、見せ物小屋で働き、縫い物、編み物、そして口に筆をくわえて文字を書くという芸を演じて、たちまち人気者になりました。
 こうした日暮しの中に、やがて彼女は空虚な思いに悩むようになりました。いろいろな宗教を求めましたが、満足できなかった彼女を変えたのは、ある婦人会に招かれたとき、彼女の姿を見て、近くにいた婦人が「ナンマンダブ、ナンマンダブ」ととなえ、「お念仏しなさい。すべてを阿弥陀さまにまかせなさい。」というすすめに心を動かされ、念仏の悦びを味あう生活をするようになったといいます。
 写真は中村久子さんの歌と、念仏をすすめた親鸞の絵像を並べて写しました。歌は
  「過ぎし世に 如何なる罪を犯せしや 拝む手のない 我は悲しき」
  「手はなくも 足はなくとも み仏の袖にくるまる身のやすきかな」(「姿なき手足」より)
なお、彼女のことばに「人生に絶望なし 如何なる人生にも決して絶望はない」と言っています。
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by butda2 | 2013-07-25 06:51 | Trackback

ギボウシに魅せられて-3

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              味わい深い真夏のギボウシ
 ギボウシに魅せられて、もうあれこれ20年にはなります。木市に行っては買い、植木屋に行っては買い、ときには、スーパーにおいてあれば買い、いろいろな種類のギボウシが数十鉢、いつの間にか集まってしまいました。

 最初は名前も札に書いていましたが、植え替えをする度にずるけてしまい、今では半分も名前が分からなくなってしまいました。

 以前にも書きましたが、ギボウシの花は、2-3を除いて、思ったほど美しいとは思いません。やっぱり、なんといってもギボウシの美しさは葉っぱだと思います。見ていて飽きません。
 真夏のギボウシには、何となく味わい深い趣があります。

 夏の終わりごろになると、葉っぱがだんだんと黄色くなり、やがて枯れて姿を消してしまいますが、不思議と翌年の春には、必ず芽を出してくれます。
 冬の間は水はほとんどやりませんが、寒さを和らげるために寒冷遮を張って越冬させています。

 もう間もなく8月、だんだんとギボウシの葉っぱに生気が失われつつあるように感じられます。
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 境内の奥におわします、お地蔵さま。遠くから見るとギボウシが映えて風情があります。
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by butda2 | 2013-07-24 06:11 | 寺を彩る植物たち | Trackback

親鸞の説いた他力本願

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             浄土真宗の開祖 親鸞聖人の絵像
 親鸞聖人は滿9歳のとき出家し、比叡山において20年間、天台宗の厳しい修行と学門を通して、悟りの道を求めました。
 しかしながら、いかなる修行と学門をしても、どうしても悪業煩悩を断ち切れず、悟りの世界に至ることができませんでした。
 このことを親鸞は自らをふりかえつて、「いずれの行も及び難き身」と言って、どんなに修行しても何一つとして煩悩を断ち切ることのできない我が身を嘆いておられます。

 親鸞は「生死いずべき道」(迷いの世界から出る道)を求めて悩み、やがて比叡山を下りて、「自らの力で断ち切って行くのではなく、仏の救いの力で救われていく」という教えを説く法然上人のもとを尋ね、他力の教えの道を進むようになりました。

 「他力」とは、他人まかせの無気力な考え方を言った言葉ではありません。「他力」とは、仏の力、仏の願いの力を言うのであります。このことを親鸞聖人は「他力というは如来(仏)の本願力なり」と示されています。
 「いずれの行も及び難き身」つまり、いずれの行をもっても悟りを開く力を持たない悲しむべき私を、救わずにはおかないという、阿弥陀如来の救いの力のことであります。
 これが親鸞聖人の説いた浄土真宗の根本の教えであります。
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by butda2 | 2013-07-23 05:52 | 山寺の仏たち | Trackback

夏を彩るサルスベリ

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             境内を彩るサルスベリ
 サルスベリは百日紅(ヒャクジッコウ)ともいいい、ミソハギ科の落葉樹。
 猿が登ろうとしても、樹皮がすべすべして滑って登れないと言うことから、「猿滑り」の名前が付いたと言われます。
 実際にはそんなことはありませんが、それほど樹皮がすべすべしていることを表したようです。

 サルスベリは夏を代表する境内の花木です。写真は早朝に撮ったものです。

 冬場には落葉しますが、春までには剪定した方が新芽が出て、花付きもよいようです。しかし、そのままにしていても花は付きますが、延び放題になってしまいます。

 連日、猛暑日が続いて、境内の草花はなえていますが、サルスベリは猛暑を我がものにして、生き生きと咲いています。
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by butda2 | 2013-07-22 06:19 | 山寺の風景 | Trackback