ことだま日記

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母の祥月命日

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               母、シズ の 歌 碑
 母は、平成10年8月30日、享年96歳(満95歳)で往生しました。病名は多臓器不全、いわゆる老衰でありました。
 当日は夏休みの終わりで、まだ小中学生だった孫たちも、そばにいて最期を見守り、意識がだんだんなくなっていく祖母に声をかけていました。
 母は、明治36年8月16日、豊前(大分県中津市)に生まれ、昭和2年4月に、先に福岡県より専念寺に着任していた住職の坊守(ぼうもり)として、志布志に参りました。

 志布志の山間地にある山寺は、特に、戦後の生活は困窮し、5人の子供の養育のため、慣れない百姓をして、生活を支えてくれました。

 母の出生した豊前は、比較的信仰心の篤い地で、中でも母は、念仏を喜ぶ家庭に育ち、生涯を通して親鸞の教えを生活の糧として過ごしました。
 母は晩年、自らの信仰の喜びを歌に書いたりしていましたので、母の3回忌に子供たちみんなで、母の歌碑を建立しました。歌碑の歌は、自筆のものを刻んだものです。
  「何ごとも みなみほとけにまかす身は 心にかかる ことのはもなし」
 
 母の祥月命日を兄弟で済ませて、思い出を語りながら、晩餐の時を過ごしました。
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by butda2 | 2013-08-31 11:40 | 山寺の風景 | Trackback

九重"夢"大吊橋

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              雨の九重"夢"大吊橋にて
 私どもグループの1泊2日の旅は、いよいよ最終日。別府のホテルを8時に出発、「やまなみハイウェイ」を通って、本日の目的地「九重"夢"大吊橋」へ。あいにく雨になりました。

 大吊橋は、大分県玖珠郡九重町(ここのえまち)にある、歩行者専用の吊橋で、長さ930m、水面からの高さ173mで、歩行者専用の橋としては、長さと高さは共に日本一だそうです。

 私は、生来の高所恐怖症で、これまで吊橋という吊橋を、渡ったことがありません。お陰で当日は雨。橋の下は霞んでいて思ったほどの恐怖心はありませんでしたので、日本一の吊橋渡りに挑戦しました。
 この橋の幅員は1、5mで、大人1、800人の重量にも耐えられるように設計されているとのことですが、あまり安心して渡ることは出来ませんでした。
 出来るだけ遠くを見るようにして渡り、橋からは、日本の滝百選の「震動の滝」や「鳴子川渓谷」などの景色をみて、気をまぎらわせました。次からは、吊橋を渡れるかもしれません。

 旅の最後は「阿蘇ファームランド」にて買い物をして、九州自動車道~宮崎自動車道を通って、1泊2日の旅は終わりました。
 高齢になると旅行をすることが少なくなりますが、気心の知れた仲間との旅は最高でした。
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by butda2 | 2013-08-30 09:19 | Trackback

杵築の大原邸

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             杵築の城下町 大原邸の庭園
 杵築の城下町には多くの武家屋敷が点在して、今もなお残されていますが、日程の関係で「大原邸」だけをを見学するかとにしました。

 この大原邸は杵築の城下町を代表する武家屋敷で、茅葺きの堂々たる屋根は、昔の面影をとてもよく残しています。
 門は、桁行き8間半、梁行き2間の堂々たる長屋門でした。門から敷石ずたいに正面に玄関、茅葺きで入母屋ずくりの屋根を正面に、屋敷の中のいくつもの部屋は、当家の格式の高さを示していました。

 庭園で、中島をもつ池は大きく、当家が杵築の城下町の邸宅でも、普通の武家屋敷でなかったことを物語っているようでした。

 屋敷を撮ろうとしましたが、あまりに大きくて、庭園の池を写真におさめました。
 
 何時かまた機会があったら、ぜひ、杵築の城下町をゆっくりと散策したいものだと思いながら、当日の日程を終えて、ホテルに向かいました。
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by butda2 | 2013-08-29 09:08 | Trackback

杵築(きつき)城を見学

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               杵築城跡の模擬天守閣
 グループの旅行は、臼杵の石仏を見学して、次は杵築城と杵築の城下町の見学でした。

 杵築(きつき)城は、室町時代初期(1393年頃)に、木付氏によって八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれた城です。
 戦国時代には、大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれた所です。
城跡は公園として整備され、山上の天守台跡には、博物館と展望台をかねた模擬天守閣が建てられていました。
 天守閣は慶長13年(1608)に落雷で焼失して以来、再建されなかったそうですが、やがて、現在、本丸の天守台跡に、三層の模擬天守が建てられて資料館などにも利用されているようです。

 これまで約1ヶ月近く晴天が続いていたのに、雨になってしまいましたが、城と城下町を散策することができました。
 次は、城下町にある武家屋敷「大原邸」を訪問しました。
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by butda2 | 2013-08-28 09:19 | Trackback

臼杵の石仏(2)

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             阿弥陀如来三尊像(臼杵の石仏)
 8月24日、仲間たちと臼杵の石仏を見学しました。
 臼杵の石仏は、4群59体もの石仏があり、すべてを紹介出来ませんが、中でも端正で気品のある石仏は、やはり、先に紹介しました「大日如来像」だと思います。

 私は、見学したのは2回目でしたが、以前よりよく整備されていて、どの石仏も気品ある表情を感じました。

 中でも、阿弥陀如来を中尊にした「阿弥陀三尊像」にも心が引かれました。阿弥陀如来像は、静まった顔で、眉、目、髭を墨で描き、量感あふれる姿が印象的でした。
 阿弥陀如来の脇侍(わきじ)は観音菩薩と勢至菩薩と思います。

 また、地蔵菩薩を中尊にした「地蔵十王像」や釈迦如来を中尊にした「如来三尊像」なども、とても魅力的でした。
 まだお目にかかってない方は、ぜひ、見学されることをお勧めしたいと思います。
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by butda2 | 2013-08-27 06:54 | Trackback

臼杵の石仏群(1)

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                国宝 臼杵石仏群(大日如来)    
 毎月1回の例会をしているグループの仲間14人で、8月24、25日、1泊2日の旅行をしました。旅行の見学先は、1日目が、臼杵の石仏、杵築の城下町の散策と杵築城の見学で、宿泊は別府のホテルでした。
 2日目は、やまなみハイウェイを通って、九重の大吊橋、阿蘇ファームランドなどの見学をして旅行を終えました。

 先に(13、6、29)臼杵の石仏について、石仏の頭部だけの仏像を写して紹介しましたが、今回は、久しぶりに石仏群を見学しましたので、改めて紹介いたします。

 この臼杵の石仏は、すべて切り立った岩肌に彫られた磨崖仏で、これまでは国の「特別史跡」と「重要文化財」の指定を受けていましたが、昭和55年から保存修復が行われ、その際に頭部のみの姿であった大日如来像も一体になり、平成7年に臼杵磨崖仏4群59体が、磨崖仏では全国初の「国宝」に指定されました。

 伝説によると、この石仏は、1400年前(飛鳥後期から奈良時代)、この地の「炭焼小五郎」と呼ばれた人が、亡くなった娘の供養として、インドの祇園精舎の話を聞いて、都から仏師を大勢招いて彫らせたという話しもあるそうです。
 ガイドつきの仏跡群見学は、とても参考になりました。
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by butda2 | 2013-08-26 14:47 | Trackback

菩提樹の葉に描かれた仏陀像

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            菩提樹の葉っぱに描かれた仏陀像
 この仏陀像は、菩提樹の葉っぱに描かれたものです。菩提樹の葉っぱは、もともと分厚いのですが、どうしてこんなに薄く、きれいに葉脈が透けて見えるように削られたのか不思議です。
 これは、クシナガラの売店で求めたものですが、袋に入れて売っていましたので、かなりの数の仏陀の絵が入っていました。
 関心のある方に、額に入れて、これまで随分差し上げました。

 私は、インドに2回ほど行きましたが、1回目の時、ムンバイの空港に夜中に降りたとき、空港の薄明かりと、薄暗い路上にホームレスの多いのに驚きました。また、昼間になると、多くの人と車が縦横無尽に行き交っているのにも驚きましたが、やがて、これがインドなのだと思えるようになると、活気のある人々の生活の営みが心に伝わってきて、感動するようになりました。

 私は、2度のインド旅行で、仏陀の遺跡を心に焼き付けて帰りました。また、多くの仏像などを収集することもできました。

 私は、仏像を集めて、ガラスケースに入れて一人で楽しんでいましたが、ブログを始めて、仏像を通して、仏様の教えを少しでも伝えられることに、今ではこれが、老後の楽しみになっています。
 いつまで続くか分かりませんが?
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by butda2 | 2013-08-23 09:38 | 山寺の仏たち | Trackback

夏休みの学童保育

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             学童保育に集まった子供たち
 社会福祉法人の会では、保育園の経営のほかに、土曜日や日曜日、それに長期の休みなどに「学童保育」を開設して、子供たちのいろいろな指導をしておられます。
 この法人では、数年前に閉校になった小学校を利用して「ハイジーの学校」と命名して、学童保育を開設しています。

 私は毎年、夏休みの期間中に1回、ここの子供たちに話をするようになっています。それも、出来るだけ仏様の教えを題材にして話すようにしています。
 対象の子供たちは小学校1年生から6年生までの、いわゆる異年齢集団なので、題材や話し方に気を使います。
 
 昨年は、お釈迦様の誕生について話し、「天上天下唯我独尊」を題材にして、自分の命の大切さを話しました。
 今年は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を題材にして、地獄に落ちた「かんだた」を、お釈迦様が蜘蛛の糸で救おうとしましたが、自分だけ助かろうとする無慈悲な心がおこり、再び地獄に落ちていった話しをしました。
 高学年には「善因善果」「悪因悪果」についても少し話しました。子供たちは、真剣になって話を聞いてくれました。
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by butda2 | 2013-08-22 12:06 | Trackback

寺院を守る仁王像

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                彫刻された仁王像
 当地の出身で東京都に在住しておられた方が、警視庁を退職後、趣味で多くの仏像を、晩年まで彫刻され、親類縁者の方々へ贈呈しておられました。
 当寺に寄進されたのが、この「仁王像」でした。

 仁王像というと、奈良の東大寺南大門の「金剛力士像」を思い浮かべますが、仁王像は、由緒ある寺の山門に設置されていて、仏敵から寺を守る役目をする仏像の仲間です。

 仁王像は、開口の「阿形像(あぎょうぞう)」と口を結んだ「吽形像(うんぎょうぞう)」の二体を一対として寺院の表門などに安置されています。

 阿形像も吽形像も、仁王像の姿は筋肉りゅうりゅうで、顔も怒りに満ちた様相をしています。これはいずれも、仏の教えに背く邪心を、追い払おうとして力んでいる姿でもあります。
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by butda2 | 2013-08-21 06:52 | 山寺の仏たち | Trackback

金子みすゞのまなざし

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         矢崎節夫講演会「金子みすゞさんのうれしいまなざし」
 去る8月17日、志布志市の文化会館で、童謡詩人..童話作家で、金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫氏の講演会があり、聴講しました。講演で矢崎節夫氏の紹介とともに、次のようなことが紹介されていました。
 「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。東日本大震災後のニュースの合間に金子みすゞの詩「こだまでしょうか」がCMで繰り返し流れ、人々の共感を呼びました。
 幻の童謡詩人と語り継がれる「金子みすゞ」の埋もれていた遺稿は、児童文学者の矢崎節夫氏の長年の努力により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた金子みすゞの詩を通して、まなざしを変える喜びに出会って下さい。ーと、紹介されていました。
 私の手元にある「金子みすゞ童謡集」から「大漁」を一編。
 朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮(いわし)の 大漁だ  浜は祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう
 
 矢崎節夫氏の講演でもあったけれども、人間の立場からものを見るのではなく、自然の立場になって、ものごとを優しく見つめる金子みすゞの世界に感動しました。
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by butda2 | 2013-08-20 14:18 | Trackback