ことだま日記

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秋の境内を彩るツルボ

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                秋の境内を彩るツルボ

 ツルボをいつ頃、誰が植えたのか分かりません。毎年、秋の始めごろになると、必ず密集して葉っぱを出して、彼岸の頃には花を咲かせ、境内に彩りを添えてくれます。

 ツルボはユリ科の多年生植物で、土手や田の畦などによく見られる野草です。境内に咲くツルボは、人のよく通る芝の中でも、秋になると頭をもたげて、花を付けます。冬には、まったく姿を消してしまうので、忘れられてしまいます。花の咲く期間は、半月ぐらい咲いています。

 ツルボは、地下に2~3cmの卵球形の細長い球根があります。食糧難の頃には、この球根を食用にしたという記述もありました。
 秋になると、彼岸花のように、突然あらわれ、高さ30cm程の花茎を覗かせ、薄紫色の花を咲かせます。一本一本をよく見ると、花は繋がって密集して咲いています。

 ブログを始めて感じることは、仏像にしても、植物や草花にしても、通り一辺のことしか知らず、また、そのことにも気付かなかった自分を、発見したことでした。
 今年9月の始めに78歳になりましたが、これからも、ブログを通して仏教のことを中心に、山寺の周りの植物や風景などに目を向けて、老後を楽しみながら、出来るだけ毎日、発信していきたいと思います。
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by butda2 | 2013-09-30 05:16 | 寺を彩る植物たち | Trackback

敦煌ー莫高窟の彫刻

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              莫高窟の仏像彫刻

 平成11年9月、シルクロードの旅、西安~敦煌~揄林窟を旅したとき、敦煌で買い求めたもので、莫高窟の仏像が彫刻されたものです。
 これは、莫高窟の石窟に彫刻された仏像彫刻をもとに、彫刻されたもので、円柱で、両面に開けられ、三面になり、正面には仏様が、左右の面には菩薩などの脇侍が彫刻されています。

 これを閉じると、円柱になり、外側の左右の面には「仏光普照」「普度衆生」と刻まれています。
 「仏光普照」=「仏の光は、あまねく照らす」
 「普度衆生」=「あまねく、衆生を度する」と、読めるのではないでしょうか。

 つまり、仏様の慈悲の光は、どんな人にも、また、何処に居ても等しく照らし、また、仏様の救いは、どのような衆生をも見捨てることなく、全てを救い、浄土に渡すという、仏の慈悲の心を表すことばだと思いながら、大事に持ち帰りました。

 インドのエローラやアジャンタの石窟寺院の彫刻にも感動しましたが、敦煌の莫高窟や揄林窟の石窟の彫刻にも感動しました。
 古代中国の高度な仏教美術には驚かされます。
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by butda2 | 2013-09-29 05:44 | 山寺の仏たち | Trackback

山里の実りの秋

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             出番を待つ案山子(かかし)たち

 今年の夏は異常気象で、梅雨の時期は干ばつ、7月、8月は小雨で猛暑などと、例年になく異常気象に見舞われましたが、お陰で台風は一度も上陸しませんでした。
 ここ志布志地区では、例年通り実りの秋を迎えています。

 周りの農家の方に、稲の収穫はいつ頃になるのかと聞いたら、今週末から10月初めには収穫は終わるとのこと。近くの水田に行ってみると、稲がたわわに実り、稲穂が頭を下げていました。

 いよいよ案山子の出番のようですが、残念ながら、どうしたのかスズメがあまりいません。収穫時の今ごろは、夕方になると、竹やぶにスズメが集まり賑やかでしたが、川の土手には竹やぶもなく、スズメの声はちらぽら。稲の収穫も昔と違い、ほとんどがコンバインでの収穫で、稲刈りと同時に収量してしまいます。
 
 どうやらスズメにとっても住みにくい環境になっているのでは?
 一方、案山子も出番を待っていますが、ここで待機して、通りがかりの人の目を楽しませるだけなの役目なのかもしれません。

 私は今年の3月からブログを初めて、山寺の周りの自然の移ろいに関心を寄せてきましたが、確かに、昆虫や植物などが、激減しているように思えて、危機感を持つようになりました。
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by butda2 | 2013-09-28 05:31 | 山寺の風景 | Trackback

オトコエシ(男郎花)

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              オミナエシ科のオトコエシ

 オミナエシ科の花は、オミナエシ、オトコエシ、カノコソウなどで、いずれも似たような小さな花を付けます。中でもオミナエシは、よく目立ちますが、一方、オトコエシは秋の七草でもなく、オミナエシに対した、影が薄いようです。

 オミナエシ(女郎花)は女性的であるのに対して、オトコエシは男性的であることから、男郎花(オトコエシ)と呼ばれるようになったという説があるそうです。

 また、伝説によると、昔、山に行く夫に白飯を持たせ、妻は粟飯で辛抱したことから、男飯(オトコメシ)、つまり「オトコエシ」と呼ばれ、女飯(オミナメシ)から「オミナエシ」となったという説もあるようです。

 面白いことに、オトコエシの白米、オミナエシの粟飯を対比させて、男尊女卑に言及する意見もあるようです。
 ただ、オトコエシは半日陰の土手などでよく見かけますが、オミナエシは日当たりのよい土手や野原に自生していますが、最近はその数がめっきり少なくなっています。
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 女郎とは、もともと「美しい女性」のことであったのに、今日では意味が違うようです。



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by butda2 | 2013-09-27 06:37 | 山寺の風景 | Trackback

専念寺の秋の彼岸法要

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              専念寺の秋の彼岸法要

 先日の伊勢堀院彼岸法要に続いて、専念寺でも、彼岸法要を2日間、広島から本願寺布教使を招聘(しょうへい)して勤めました。

 中国の高僧、善導大師(浄土真宗の七高僧の一人)は、「彼岸のこの日 太陽は真東より昇り 真西に沈む その日の沈む彼方(かなた) 十万億の仏国土を過ぎて 阿弥陀如来の浄土はまします。」と仰せになりました。
 この善導大師の言葉は、彼岸についての比喩でありますが、彼岸とは仏教では「悟りの世界」つまり「極楽浄土」のことをいいます。
 これに対して、私どもが生活している世界を「此岸(しがん)」と言います。此岸とは、「思い通りにならない世界」「生 老 病 死」の苦しみから逃れられない世界のことであります。
 この苦悩の此岸の世界から、やがて、この世の縁が尽きたら、仏様の救いによって、彼岸の世界に生まれることを願う行事を彼岸といいます。

 また、彼岸法要とは、先に亡くなられた方々を供養するだけでなく、仏様のみ教えを聞いて、日々の生活を感謝しながら生きていくことを味わう、大切な法要です。
 彼岸といいますと、すぐにお墓参りだけを考えますが、その事だけでなく、今生きている私が救われる、み教えに会わせていただくことが、何よりも大切であります。

 機会を見つけて、お寺参りをして、仏法を聴聞いたしましょう。
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by butda2 | 2013-09-26 13:47 | 山寺の行事 | Trackback

中国の仏塔

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                中国で求めた仏塔

 仏塔の起源は、インドのストゥーバであると言われています。
 仏塔と言うと、パゴダや写真の仏塔の様に尖った形のものを思わせますが、もともとストゥーバは、饅頭のように、盛り上げられた墓で、釈迦がダビに付された際に、仏舍利(釈迦の遺骨)を納めた塚であります。

 これらの仏塔は、ミャンマーやタイ、中国などに伝わり、それぞれ独特の形をした、仏塔ができていったようです。
 
 この仏塔は、やがて日本に伝わり、五重の塔のような形になっていきました。

 写真の仏塔は、中国で求めた仏塔ですが、こうした形の仏塔は、中国ではよく見かけます。インドでは饅頭型の、いわゆるストゥーバがほとんどでした。いづれにしても、仏舍利(釈迦の遺骨)を納めた塔のようです。
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by butda2 | 2013-09-25 08:47 | Trackback

伊勢堀院での彼岸法要

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             伊勢堀院の彼岸法要で演奏と朗読

 伊勢堀院では、9月23日(彼岸の中日)の午後から、秋の彼岸法要が行われ、本堂一杯の参詣がありました。

 法要に先立ち、子供たちによる楽器の演奏と詩の朗読を行って頂きました。参詣された方々から大変好評でした。
 楽器の演奏は、専念寺の長女で、都城市でピアノ教室をしている教え子さんの三姉妹で、フルートとオーボエ、鍵盤ハーモニカを演奏。「真宗宗歌」「恩徳賛」それに、朝の連続テレビ「あまちゃん」の主題歌などを演奏して頂きました。
 詩の朗読は、専念寺二女の娘(姶良市在住5年生)が金子みすゞの「花のたましい」と、北条不可思の「大悲の詩」を朗読しました。
 
     朗読の 「花のたましい」 金子みすゞ から
 散ったお花の たましいは み仏様の花園に ひとつ残らず生まれるの
 だって お花は優しくて おてんと様が呼ぶときに ぱっと開いて 微笑んで
 蝶々に 甘い蜜をやり 人には においを 皆くれて
 風がおいでと呼ぶときに やはり素直に ついていき
 なきがらさえも ママゴトの ご飯となって くれるから
 
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by butda2 | 2013-09-24 09:15 | 伊勢堀院たより | Trackback

彼岸の中日

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               お地蔵様に彼岸のお供え

 彼岸の中日には、太陽が真東から上り、真西に沈みますが、仏説阿弥陀経に阿弥陀如来のお建てになった極楽浄土は、西方極楽国土と説かれています。このことから、べての命を育む太陽が、この極楽浄土のある西に沈むこの時期を、古来より「彼岸」と名付け、すでに西方極楽浄土に行かれた先祖を偲び、供養するという行事を「彼岸」と言います。

 もともと「彼岸」とは、彼方(かなた)の岸、つまり浄土を言います。従って、彼岸とは浄土のことで、悟りの世界のことをいい、苦悩のない世界、煩悩にとらわれない世界を言います。

 一方、私どもが生きて、今、生活している世界を「此岸(しがん)」と言います。此岸とは、迷いの世界、苦悩の世界、煩悩にとらわれ、真実が見えない世界のことです。
 我欲に振り回されて、思い通りにならずして「怒り 腹立ち そねみ ねたむ」心が多く、苦しむ世界が此岸です。

 こうした世界から、いつかは仏様に救われて、彼岸の世界(浄土の世界)に生まれようと願う教えに会うことも、大切な彼岸の行事です。
 仏教では、彼岸はお墓参りだけでなく、彼岸のいわれを聞くこと、仏の教えを聞く機会にすることが大切であるといわれています。

 境内のお地蔵様に彼岸花を手向け、栗や団子をお供えして、今年も無事に秋の彼岸を迎えられたことを感謝して、合掌しました。

 
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by butda2 | 2013-09-23 05:55 | 山寺の仏たち | Trackback

クズ(葛)の花

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                秋の七草ークズ(葛)

 クズ(葛)はマメ科の植物。つる性の多年草です。根を用いて食品の「くず粉」に用いますが、漢方薬にも利用されるそうです。

 このクズのかずらは、山や藪などによく生い茂り、厄介者でもあります。
 ところが、私が車で山間地を通っていますと、木に巻き付いたクズが花を付けて垂れ下がり、見事でした。私は急いでタブレットで写真に撮り、ブログに書くことにしました。

 クズは、万葉の昔から秋の七草の一つに数えられています。春の七草は覚えていますが、秋の七草はなかなか言えません。次の順に言うと案外すらすら言えます。
 「はぎ ききょう くず おみなえし ふじばかま おばな なでしこ」これぞ七草。

 山上憶良詠(万葉集)
 「秋の野に 咲きたる花を指折り(およびをり) かき数うれば七草の花」
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by butda2 | 2013-09-22 07:01 | Trackback

修験道の山伏

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               修験道の修験者(山伏)

 修験道(しゅげんどう)は、山に籠って厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰で、それがやがて仏教に取り入れられて、日本独特の山岳仏教となったものです。
 この修験道の実践者を修験者または山伏(やまぶし)といいます。この山伏の像は、誰をモデルにして作製されたかは不明です。

 山伏(修験者)といえば、浄土真宗ではすぐ「山伏の弁円(べんねん)」を思い出します。
 常陸の国(茨城県)に大きな信者を抱えていた山伏の弁円は、当地に来て念仏の布教を広める親鸞聖人によって信者を失いました。

 このことに怒りを持っていた弁円は、聖人を殺害しようとたくらみ、板敷山の峠に何回も待ち伏せましたが、出合うことができませんでした。
 たまらず弁円は、聖人の住む「稲田の草庵」に乗り込んで殺害しようとしましたが、親鸞聖人の平然とした穏やかな尊顔に接し、害心がたちまち消滅して、立ち所にして聖人の弟子になったという話は、浄土真宗の門徒はよく知るところであります。

 やがて弁円は、聖人のもとで出家し、「明法房」といい、いつも聖人のお供をするようになりました。ある日、明法房が草庵で留守をしていましたが、聖人の帰りが遅く、迎えに行こうと板敷山の峠まで来ました。ようやく聖人の念仏の声を聞き安堵して待ちましたが、そこがかつて聖人を殺害しようとした板敷山の峠であることに気付き、次のような歌を歌って聖人を迎えました。

 「山も山 道も昔に変わらねど 変わりはてたる 我が心かな」と。
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by butda2 | 2013-09-21 10:52 | 山寺の仏たち | Trackback