ことだま日記

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ひな人形展

              志布志市の「ひな人形展」 

 先日、宮崎県串間市の旧家「吉松邸」で行われている「ひな人形展」の参観に続き、志布志市の志布志市埋蔵文化財センターで行われている、第5回志布志市「ひな人形展」を初めて参観しました。
  この志布志市の「ひな人形展」の「ひな人形」は、市内の有志の方たちが所持していたものを寄贈されたり、貸し出しされたものとのことでした。
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  串間市の「ひな人形展」に比べると、こじんまりしていましたが、70数年も前の 「ひな人形」や、かなり古い「おひな様」もあり、楽しく見させていただきました。 
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 私にも二人の娘がいますが、娘たちが幼なかった当時は転勤族で、ケースに入ったコンパクトな「ひな人形」しか買えませんでした。
  あの「ひな人形展」に展示されているような、本格的な雛壇を今揃えるとしたら、価格はどれくらいするのだろうかと思うことでした。
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  今年は、例年になく二回も「ひな人形展」を見る機会に恵まれました。見ながら、昔の人たちが、可愛い娘たちを慈しんだ、親心が伝わって来るようで感動させられました。
  やがてまた、「端午の節句」が近づきます。5月の空に勢いよく「鯉のぼり」が、はためくことでしょう。  

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by butda2 | 2014-02-28 21:52 | Trackback

境内に咲くスイセンの花

           境内の路地に咲くスイセンの花

 早春の花というと、ややともすると梅の花や椿の花などの、花木に目がいきますが、路地にも春を告げる草花があります。
 その代表が拙寺の境内では「ニホンスイセン」です。
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 スイセンには、ニホンスイセンやラッパスイセンなど、色や形の異なる品種が多くありますが、これらを含めて「スイセン」と総称しているようです。
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 境内に咲くスイセンは、白の系統と黄色の系統のものですが、白より黄色の方が人目を引くようです。株分けを希望されるほとんどの人が、黄色のスイセンを所望されます。寺にお詣りの方で、境内の草花をよく観賞される方と、まったく関心を示さない方とあります。
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  「こころここにあらざれば 見れども見えず 聞けども聞こえず 喰(く)らえどもその味を知らず」と言いますが、この言葉の通り、花に関心のない人には、きれいなスイセンの花も、その人の心には伝わりません。
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 今年の冬は例年になく寒の強い冬に感じましたが、それでも椿の花や梅の花、それにスイセンの花は、いつもの年より多くの花を付けてくれました。
  間もなく、木蓮の花が咲きます。





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by butda2 | 2014-02-27 08:48 | Trackback

莫高窟の美人菩薩

             敦煌・莫高窟の樹下説法図 
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 この美しい菩薩図は、敦煌・莫高窟、第57窟の「樹下説法図」の脇侍菩薩(わきじぼさつ)で、その右側の脇侍、観音菩薩だと思います。
  美しい菩薩で、別名「美人菩薩」とも呼ばれるほどあって、魅力的な菩薩さまです。この菩薩さまを見とれていると、けがれた心が洗われるようで、執着の心を忘れさせます。
  執着とは、自分の欲望にこだわり、自分の愚かさに苦しむ心をいいます。  もし、阿弥陀如来さまが、私のようなものでも救って、お浄土にお連れくださうのだったら、こんな美しい観音さまの元にお連れくださいと願いたいものです。 
 この図は、多くの人々に親しまれ、仏画としてよく部屋などに飾られているものの一つです。
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  また、莫高窟の仏像の中でも、この仏像は第45窟の脇侍菩薩像ですが、この菩薩像もとても魅力的な仏像です。
  このように、敦煌・莫高窟の壁画や仏像には、人の心を惹き付ける仏教美術の宝庫です。もう一度行ってみたいと願っています。

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by butda2 | 2014-02-25 17:48 | Trackback

春はあけぼの

                春はあけぼの 

 私は、分院で毎週土曜日の早朝に行われる「土曜礼拝」に出勤するために、本院を7時少し前に出かけます。
  途中、東の空がだんだんと明るくなって、やがて分院に着く時刻には太陽が眩しく顔を出します。車を停めて写真を撮りたいけれど、朝は時間的余裕がありません。 
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 朝のこの景色が「枕草子」の冒頭にある、あの一節を思い出して、何時か日を改て、写真を撮りたいと思い、今朝はゆっくりとタブレットを持って、近くの見晴らしのよい所で日の出を待ちました。
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  「春はあけぼの やうやうしろくなりゆく山ぎは すこし明かりて むらさきだちたる 雲のほそくたなびきたる」(「枕草子」 清少納言)とあるごとく、紫だった雲はありませんでしたが、ほんとうに、こうごうしい陽の出でした。
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  枕草子の書きはじめは、四季の美しさや風情を詠んでいますように、「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて」と、機会を作って、その季節の風景を取材したいものだと思うようになりました。

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by butda2 | 2014-02-24 13:10 | Trackback

境内の梅

              寒さに耐えて咲く梅 

 梅はバラ科サクラ属の落葉高木ですが、拙寺にある約20本の梅は、それぞれ違って、幾種類もの梅があります。
  梅の種類を調べてみますと、約300種類以上もの品種があるそうです。これらの種類は「野梅系」「紅梅系」「豊後系」の3系統に分類されるようです。 
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 「梅は百花にさきがけて咲く」と言われるように、寒い冬をじっと耐えて、春の訪れを一番に知らせてくれます。
  明治天皇の歌に「降り積もる 雪をしのぎて咲く梅の 花はいかなる ちからあるらむ」という歌があります。 
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 春の意味を調べてみますと、「春」は「張る」、お腹が張る、美味しいものを腹一杯食べて、幸せになる。また、お腹がふくらむ、つぼみがふくらむ、新しい生命の誕生を喜ぶ、さらに、すべての花にさきがけて「芽」を生み出す此の梅の木に、力強い御霊(みたま)が宿ると信じて「うめ」と名付けたとも言われます。 
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 梅の花を詠った短歌はたくさんあります。その中から2首紹介します。 

「人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける」(紀貫之 古今集)
「大空は 梅のにほひにかすみつつ くもりもはてぬ 春の夜の月」(藤原定家 新古今集)  

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by butda2 | 2014-02-22 21:34 | Trackback

最期を共有したい

          毎日新聞鹿児島版「はがき随筆」より 

 私は毎月一本だけ、その月づきの中で最も心に思うものを選んで、毎日新聞鹿児島県版の「はがき随筆」に投稿しています。 
 投稿を始めてから約20年になりますが、どの作品も、私に取っては大切な人生の魂の記録です。
  その中でも、今回は特に記述することを躊躇(ちゅうちょ)しましたが、親しく慕ってくださる大切な人を励ますためにも、心を込めて書くことにしました。そして、多くの人たちにも、自分の人生を見つめてもらう機会にしていただきたいという願いでブログに書くことにしました。 
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 去る2月17日(月)に、毎日新聞鹿児島県版の「はがき随筆」欄に掲載された作品を次に紹介します。 
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              「死をみつめて」 
 Mさんが友人に誘われて拙寺で毎週早朝に行われている「土曜礼拝」に来るようになってから、間もなく1年になる。でも、50半ばのMさんが、がんを患って余命幾ばくもないことを知ったのはつい最近のことで、既に肺に転移しているとのこと。  一緒に読経した後、私は「歎異抄(たんにしょう)」を題材に約30分の法話をしているが、彼女は食い入るように聴聞する。そして明るく「寺に来ると心が落ち着きます」と言う。 
 死は人生の終焉(しゅうえん)ではない。「ただ念仏して、弥陀に助けられまいらすべし」という、親鸞の言葉をかみ締めて、彼女の最期を共有したい。 

 以上が随筆の本文ですが、もっと書きたくても字数に制限があるので、十分に意を尽くせませんが、せめて私は、彼女の心が定まるまで、共に語り合っていきたいと願うばかりです。 


  

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by butda2 | 2014-02-20 21:34 | Trackback

教育制度の変遷の中で

            母校・中学校の閉校に寄せて 
 母校・志布志市立田之浦中学校は、今年3月で閉校になります。閉校を記念して「記念誌」を作成するので、中学校時代の思い出を寄稿するように要請がありましたので、思い出の一端を書いて持参し、久し振りに母校を訪問をして、思い出の校舎を写真に撮ってブログに寄稿文と一緒に書くことにしました。
             「教育制度の変遷の中で」 
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          思い出の校舎(改装された旧校舎) 
 昭和20年8月15日、多くの犠牲を払ったあの第二次世界大戦が終わったのは、私どもが小学校4年生の時でした。
  終戦後の貧困の中で、先生方をはじめ、私どもを最も困惑させたのは、教育内容の変化と教育制度の改定ではなかったかと思います。昨日まで使っていた教科書から、軍国主義に関する用語をすべて黒塗りにし、天皇・皇后両陛下の写真と教育勅語を納めて崇拝していた「奉安殿」を取り崩し、民主主義の世の中になったといって、今までの価値観を否定するような風潮に戸惑うばかりでした。
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  昭和21年に施行された学制改革により、翌年から旧制中学校と女学校は廃止され、新制中学校と新制高等学校がスタートしましたが、中学校は校舎が無く、田之浦小学校の空き教室を借りて、授業が行われました。新しく学校が造成され、昭和24年度から現在地に校舎が完成し、私どもは3年時の1年間、新しい教室で学ぶことができました。
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  60数年も経った中学時代の思い出もおぼろげですが、当時は生徒数も多く、町内3中学校の陸上競技大会やバレーボール大会などが盛大に行われたことを思い出します。また、若い先生方も多く、一緒に運動したり、相談相手になって、私どもに青春のゆめを育んでいただきました。 

 以上のことを、限られたスペースギリギリにまとめて寄稿させていただきました。

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by butda2 | 2014-02-18 15:46 | Trackback

串間市にある磨崖仏

            磨崖仏ー石造阿弥陀三尊座像の紹介 

 串間市に行く道路に、志布志町内之倉の今別府から山道ですが、県道112号線(今別府串間線)があります。
  鹿児島県境を越えて、串間市の市街地に出る手前の道路沿いに、「串間市指定有形文化財ー石造阿弥陀三尊座像・一石五輪塔」の看板があります。 
 先日、串間市の「旧吉松家住宅」で開催されている「吉松邸ひなまつり」を見に行った際、磨崖仏を写真に撮りましたので、ブログに書くことにしました。 
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 自然の状態にある岩石に、仏像を浮き彫りにしたものを「磨崖仏」といいますが、ここの石仏も、規模はきわめて小さいですが、立派な磨崖仏です。 
 写真の中央が阿弥陀如来で、向かって右が観音菩薩。左は勢至菩薩です。 
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 阿弥陀三尊座の左側の石塔に「仏以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」という仏の功徳をたたえた偈文があり、鎌倉後期の永仁6年(1298年)の年号が書かれています。 

 さらに、左側に輪塔があります。五輪塔は、上から空・風・火・水・地輪とよばれる五輪を重ねたもので、空・風輪だけは一つの石で、他はそれぞれ別の石で組まれているのが普通ですが、ここの「五輪塔」は一石で造られていて、珍しい「一石五輪塔」と呼ばれているそうです。

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by butda2 | 2014-02-17 15:11 | Trackback

宮崎県串間市の「旧吉松家住宅」

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           串間市の旧家「旧吉松家住宅」について 

 宮崎県串間市にある、国指定重要文化財に指定されている「旧吉松家住宅」において例年行われている「吉松邸ひなまつり」に先日、初めて参観しました。 
 「ひなまつり」については、すでにブログに書きましたので、文化財に指定されている「旧吉松家住宅」について紹介いたします。
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  前にも紹介しましたが、串間市の吉松氏は、藩主の秋月氏が、およそ500年前に、福岡から高鍋・串間に配置替えとなったときに、秋月氏に従って串間に入った武士の家柄であったようです。
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  この吉松氏が最も栄えたのは、明治から昭和初期にかけて栄え、初代の吉松卓蔵(天保9年=1838年~大正9年=1920年)氏は、戊辰の役や西南戦争などに従軍し、初代の福島村長をしています。
  また、その子の吉松忠敬(慶応元年=1865年~昭和12年=1937年)氏は、北方村の第3代村長、第7代の福島村長、宮崎県会議員、衆議院議員をしています。  さらに、吉松忠俊(明治18年=1885年~昭和16年=1941年)氏も福島町長や県会議員をしています。このように、吉松家は串間市の政治・経済に大きく貢献された家柄であったようです。  
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  大正年間に建築された吉松家住宅は、威風堂々とした趣をもった石塀と表門、白壁の土蔵、大規模な接客空間、生活空間、茶室風離れなどを機能的に配し、また、高度な建築技術、高質の建築材料を見せる主屋など、優れた近代和風建築の粋を集めて、味わいのある風情を楽しむことができました。
 
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  志布志市からは約30分。近くにありながら今日まで見学しなかったことを悔いています。来年も是非とも「吉松邸のひなまつり」を見て、「旧吉松家住宅」も堪能したいと思います。

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by butda2 | 2014-02-16 14:05 | Trackback

吉松邸(宮崎県串間市)ひな祭り

            吉松邸で行われている「ひな祭り」 

 宮崎県串間市にある「旧吉松家住宅」は、国指定重要文化財に指定(平成20年)されています。 
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 吉松氏は、およそ500年前に、福岡から高鍋・串間へ配置替えとなった秋月氏に従って、串間に入った武士の家柄で、吉松氏が最も栄えたのは、明治から昭和初期にかけてのことでありました。
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  旧吉松家住宅では、毎年「吉松邸ひな祭り」が行われ、多くの方々か参観しておられました。 
 ひな祭りの開催期日は、2月12日から3月24日までで、午前9時から午後5時まで。入場料は無料です。(毎週火曜日は休館) 
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 ひな人形は、吉松家に伝わるひな人形と、串間市民の皆様からの提供されたもので、また、市民の皆様で組織された「ひなの会」による、手作りのひな人形も展示されていました。  
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 なお、「旧吉松家住宅」については、あらためて紹介いたします。

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by butda2 | 2014-02-14 16:10 | Trackback