ことだま日記

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母の日記帖

          母の日記帖(毎日新聞ーはがき随筆より)
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 毎日新聞鹿児島版のコラム「はがき随筆」に掲載された小生の拙文「母の日記帖」を転載させていただきます。
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           「母の日記帖」(H27,7,25掲載)

 「母が他界してから間もなく17年になる。この間、私にはどうしても決断できないことが一つある。それは二十数冊も残された母の日記帖のことである。
 実は七回忌法要が終わった時点で段ボール箱に入れて処分しようとしたけれども、そのとき母の日記を読んでしまった。
 息子夫婦が帰郷して継職した喜び。自分より先に逝った夫の看病や子育て時代の追憶。それに90歳過ぎまで生きた老・病・死に対する心境などが、そこはかとなくつづられていた。
 日記帖を見る度に、優しく接すればよかったという慚愧の念が、私の決断を鈍らせている。」

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by butda2 | 2015-07-28 09:54 | Trackback

戦没者追悼法要

           専念寺「戦没者追悼法要」について
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 専念寺におきましては、昭和60年から毎年、7月末の土曜日、午前10時から「戦没者追悼法要」を厳修しています。今年で31回目の法要になりました。 今年は、戦後70年を迎えますが、選没者の遺族の方々も高齢となり、最初の時分に比べると、参列者は年々少なくなってきました。 専念寺では「戦没者追悼法要表白」として、次のような表白を申しています。
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           「戦没者追悼法要表白」
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 「本日ここに恭しく仏前を荘厳し、戦没者追悼法要を厳修するに当たり、謹んで戦没者諸士の尊前に白しあげます。
 諸士は先の大戦において父母を措き、あるいは妻子を措きて、愛別離苦の悲しみに耐え、さく風肌をそぐ夕べ、飢えをしのぐ糧なく、鉄をも溶かす炎天、渇きを癒す水なく、しかも、弾丸雨飛の中に転戦せられ、陸海空において堅固に富む身を散華せられました。
 痛ましいかな、父母妻子を想い、国家繁栄を願いつつ、勇んで死に赴かれました。しかれども、戦い利あらずして破れ、尊き若き命を失い、遺族は悲嘆極まりないものがありました。
 以来幾星霜、年移り来たりて、ここに戦後70年を迎えております。 祖国日本は敗戦の廃墟より復興し、未曾有の繁栄を遂げるにいたりました。
 静かにおもんみれば、これひとえに殉国英雄の皆さま方の瞑助のしからしむるところであります。しかるに、我々は今日の繁栄を謳歌して、ややともすれば戦没者諸士の尊き犠牲を省みず、諸士の悲願に背くこといかばかりでありましょうか。本日の戦没者追悼法要に当たり、誠に懺悔悲傷、耐えざるものがあります。
 しかれども、諸士はすでに如来の慈光の裡にあり、お浄土の世界に住して遺族の幸せと、人類の平和を念願しておられます。 私たちはここに戦没者追悼法要に参詣し、皆さま方の悲願を心新たにし、もって遺徳に酬い、如来の御教えに耳を傾け、当来には倶会一処の悦びを分かたんことを誓います。ここに、戦没者追悼法要に当たり、追慕哀惜の心を表し、謹んで表白といたします。」
     平成27年7月25日   浄土真宗 一向山専念寺 住職 釋法誠

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by butda2 | 2015-07-27 15:52 | Trackback

「母は非国民だったのだろうか」

             南日本新聞「ひろば」より

 南日本新聞の「ひろば」では、「戦後70年・平和への思い」を、随時掲載しています。 先日、投稿した私の拙文が掲載されていましたので、掲載させていただきます。
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      「母は非国民だったのだろうか」(2015、7、15掲載)

 父は戦時中40歳を過ぎていたせいか、軍隊に召集されたことはなかった。それでも国防のため在郷軍人として、町に1校あった青年学校に定期的に出掛けて行き、軍事訓練をしていたのを小学生だった私は覚えている。
 ゲートルを巻き、竹やりと弁当を持って父は出掛けた。それを見送る母は、決まって小声で「今ごろそんなことして何の役に立ちますか」と言う。この母に対して父は真剣になって「この非常時に、そんなばかなことを言うやつは非国民だぞ。外で言ったら大変なことになるぞ」と言って怒った。それでも母は「相手は飛行機ですよ。竹やりでは届きませんよ」と皮肉たっぷりに言って返した。
 昭和20年8月15日、終戦の玉音放送を聞いた時、私は小学4年生であったが、あの時の母は実に冷静で、「これで戦死者が出なくてすむ、良かった」とラジオを聞いてつぶやいた。母は根っからの戦争反対者で、戦時中は非国民だったのかもしれないが、子どもの私が考えるに、母は真の愛国者だったのではないかと思えてならない。
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 以上ですが、この掲載を見て、数人の方から電話やハガキを頂きました。有り難うございました。

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by butda2 | 2015-07-18 09:14 | Trackback