ことだま日記

butda2.exblog.jp
ブログトップ

<   2015年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧

松山中38会同窓会

    旧松山町立松山中学校ーS38年卒業生(38会)同窓会に招かれて

 松山中を昭和38年に卒業した彼らは、卒業後58年も経ち、すでに齢(よわい)は68歳である。
 8年前に還暦同窓会を行ったのを契機に、ことあるごとに各地で同窓会を行っているようである。還暦後、学年全体の同窓会を霧島温泉ホテルで行ったり、名古屋で行ったりして、今回は関東地区在住の連中が担当して、首都圏を会場に、去る11月26、27、28日の2泊3日の日程で実施され、招待されて、今回も参加しました。
 彼らは昭和22、23年の生まれで、いわゆるベビーブームの時代、団塊の世代の生徒で、学年の学級も5クラスあり、学年に約200人以上もの生徒がいました。
 まだ世の経済も貧しく、彼らの中には集団就職列車で関西、中京、関東の地に就職して行った者もたくさんいました。今日の日本の経済の復興を支えたものたちです。
 いろいろな苦難を乗り越えたきた仲間であるせいか、同期生の仲がとてもよく、今回も31人が東京に集まりました。 2泊3日のスナップ写真を紹介します。
d0298869_11461093.jpg
d0298869_11504623.jpg
d0298869_11482483.jpg
d0298869_11553172.jpg
d0298869_11580136.jpg
d0298869_12025282.jpg
d0298869_12051906.jpg
d0298869_12101575.jpg
スナップ写真は、泉岳寺ー東京タワーー築地本願寺ー浅草ホテル助六の宿「貞千代」ー皇居「二重橋」ー隅田川の水上バスー木更津温泉竜宮城ホテル「三日月」ー鎌倉鶴岡八幡宮などのスナップです。
 3日間とも晴天で暖かく、快適な旅行ができました。お陰で膝の痛みもありませんでした。幹事の皆さん、関東地区の皆さん、親切に迎えていただきありがとう!
[PR]
by butda2 | 2015-11-30 11:32 | Trackback

毎日新聞「はがき随筆」より

           毎日新聞鹿児島版「はがき随筆」より

 毎日新聞鹿児島版にあるコラム「はがき随筆」に毎月投稿しています。今回も、何時ものように、先日掲載された小生の随筆を掲載させていただきます。
 なお、前回10月に「喜寿を迎えて1」が掲載されましたので、今回はその続きとして「傘寿を迎えて2」を投稿しました。
d0298869_15114068.jpg
        「傘寿を迎えて2」(H27、11、13掲載)                 ついに80歳の坂を越えたが比較的元気である。父は85歳で他界したが、私の歳までには脳梗塞を3回も患った。私は住職の座は2年前に譲ったが、今も現職の僧侶として人々に向き合って生かされている。 
 かつて50代の頃からは教育委員や保護司などいろいろ仰せつかったが、今は何もない。会議に呼ばれることもない。日課は寺の法務と境内の清掃。時々ワープロに向かって年4回発行の寺報の作成と随筆の推敲に費やす。喜寿を目前にした家内と月数回の外食を楽しむ。 
 傘寿を迎えて、平凡にして孤高な老いの日々と自己満足している。

[PR]
by butda2 | 2015-11-16 15:01 | Trackback

隠れ念仏者・大魯(だいろ)を訪ねて

         念仏禁制の薩摩の地に念仏を広めた大魯を訪ねて
d0298869_21355604.jpg
 幕末から明治の初めには、薩摩半島から多くの職人(鍛冶屋、石工、桶屋、竹細工職人などの技術者)が大隅半島に移住してきたが、これらの職人の中には、熱心な真宗信者がおり、彼らはそれぞれの仕事をしながら、密かに念仏の教えを説き、広めていった。
 その中に、念仏禁制の厳しかった幕末、志布志市の山間地に、旧吹上町永吉から石工として移住してきて、真宗の教えを密かに広めた井久保次郎左エ門と、その子、喜次郎がいた。 
 ところが、最近になって「吹上の民話」(昭和57年、増田逸彦氏著)に、「大魯和尚」「隠れ念仏遺跡」などに続いて、隠れ念仏者として伊集院の仕置場で拷問を受けたといはれる「井久保竜蔵の受難」のことが記されてあった。
 この記述によると、井久保竜蔵は、吹上町永吉草田の井久保門(集落)の出で、幕末に真宗の学僧で、当時本願寺の教学上の論争事件(「三業惑乱」)に敗れて、熊本や天草を経て吹上の地に逃れて来た「大魯」(だいろ)の教えを熱心に受けていた。この大魯は、終焉の地とした吹上においても自分の教学上の信念を曲げず、薩摩半島一円に「細布講」(ほそぶこう)や「煙草講」などの隠れ念仏の講を結んで、密かに念仏の教えを命がけで布教した。
 井久保竜蔵と志布志に移住した井久保次郎左エ門の系図は定かではないが、両氏が同じ門(かど)の出であることからして、共に大魯和尚の教化を受けていたであろうことが理解できる。さらに、井久保次郎左エ門親子は、念仏禁制の解かれてない志布志の山間地において、熱心に真宗の布教活動を行い、やがて念仏禁制が解かれた後、現在の「専念寺」の建立に尽力した。
 大魯の教えは、薩摩半島のみならず、大隅半島にまでその教えが伝えられたことに思いをいたし、今回、大魯和尚の墓のある吹上町永吉の光専寺と井久保家を、専念寺住職、総代、それに、井久保家の末裔と一緒に訪ねることにした。
 旧吹上町や知覧町、頴娃町を中心にした多くの寺院は大魯和尚の影響が大きいが、吹上の井久保家など、薩摩半島から移り住んだ職人たちによって、大隅半島にまでその教化が及んでいたことを再認識させられた。
 ただ、現在の井久保家はすでに吹上町からは転出されて、一軒だけ井久保家の表札のある空き家を見ることができました。
 今でも大魯和尚の墓のある光専寺には、薩摩半島各地からはもちろん、遠くは天草や屋久島からもお参りがあると言う。d0298869_21391952.jpgv> 何時までも吹上の地をもとに、命がけで布教した「大魯和尚」の業績を伝えていくように願いたい。
[PR]
by butda2 | 2015-11-07 21:32 | Trackback