ことだま日記

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境内の山野草

              春を彩る境内の山野草
 山寺の境内の片隅みに露地植している山野草が今きれいな花を咲かせています。
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            露地植えのえびね草 
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                     土手に咲くシライトソウ
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            露地に咲くテンナンショウ
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            葉っぱの綺麗なギボウシ

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by butda2 | 2017-04-30 06:20 | Trackback

紙芝居「嫁おどしの面」

            「嫁おどしの面」(肉づきの面)
 (当寺の法務員が、紙芝居風に物語を絵に描きましたので、物語を紹介します。) 

蓮如上人ご一代記の物語の中に「嫁おどしの面」(「肉づきの面」)という場面があります。昔のお説教ではよく話されたもので、今でも北陸地方では報恩講でよく話されるそうです。
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 福井県の山奥、十勝村に与三治と妻のお清、それに姑(しゅうとめ)の三人が住んでいました。子ども二人を病気で亡くしたのが縁で、お清は毎晩、吉崎の抄慶寺(しょうけいじ)へ詣り、蓮如上人の教化を受けていました。ところが、姑は吉崎へ詣る嫁のお清が気に入らず憎んでいました。ついに、ある晩、お寺詣りをやめさせようとたくらみ、鬼の面をかぶり、鎌を持って待ち伏せして脅しました。しかし、お清は「食(は)めば食め、喰(く)らわば喰らへ、金剛の、他力の信は、よもや食むまじ」と口ずさみ、「南無阿弥陀仏」と念仏をとなえがら通り過ぎようとしました。そのため姑は、思いあまってお清を鎌で切りつけて殺してしまい、沼へ突き落として、急いで家に戻りました。家に帰りついた姑は、すぐに鬼の面をはずそうとしましたが、なかなか面が顔から離れず、力を入れて取ろうとすればするほど、かえって面がくい入っるばかりでした。人の気配で姑は慌てて押し入れに隠れ、そこへ息子の与三治が帰って来ました。
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 夜も遅く、まだ寺から帰らぬ妻を気遣い、様子がおかしいと思っているうちに、村人たちがお清の死骸を運んで来ました。与三治はびっくりしましたが、お清は気絶しただけで命に影響はありませんでした。しかし、お清がいつも胸に入れて大切にしていた「南無阿弥陀仏」のの名号が斜めに切られていました。そうした様子をひそかに見ていた姑は、ついにたまらず押し入れから出て、涙を流して自分の罪を悔いました。
 嫁のお清は、鬼面(きめん)の姑を優しく許し、蓮如上人のもとを二人で訪ね、姑の口からお念仏が出るやいなや、鬼の面がぽとりと落ち、以来、姑は嫁のお清に劣らぬ信仰者となっていきました。 場面の絵は2つですが、この絵を通して物語の真意を味わいたいものです。

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by butda2 | 2017-04-25 17:06 | Trackback

ブディスト川柳

              私の川柳「ブディスト川柳」

 はじめにー傘寿を過ぎた山寺の和尚が「ユーモアは最高の文化なり」と信じて数年前から川柳作りを始め老後を楽しんでいます。親愛なる周りの人たちに笑いを届けたいと思い、拙い川柳を綴り贈呈することにいたしました。どうぞ御笑覧ください。
 平成29年4月  専 念 寺  愚凡法明(ぐぼん ほうめい)
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*ちなみに、ブディストとは仏教徒の意で、仏教的な川柳を綴りました。約90首、筆ペンで自筆して印刷所に製本を発注して製本しました。次に川柳数首を掲載いたします。
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・いいはずだ あの世還りは まだいない
・陰口を 叩いた口で お念仏
・あの笑顔 黄泉(よみ)の国まで 持っていく
・三回忌 夫(つま)を亡くして 若返る
・もういいと 言いつつ五年 生きている
・当たり前 病んではじめて お陰様
・閻魔(えんま)さん 私の死後を どう裁く
・殺すなと 言っていながらハエ殺す
・たくさんの 肩書き置いて 彼は逝(い)く
・ポックリと 願ってみても 無駄ですよ
・婆さんが 聞いてないのに 歳(とし)名乗る
・親切と 言いつつ世話やく 不親切
・飲み会の 話題はいつしか 老病死  
・初詣(はつもうで) かねての議論は 無神論(むしんろん) 
・おまかせと 微笑んで言う 病む老爺(ろうや)  
・生きている だけで迷惑 かけてます  
・住職も 時々拝む 山の神  
・また聞いた 「あなただけよ」と 言う嘘を

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by butda2 | 2017-04-23 21:05 | Trackback

親鸞聖人の生涯と物語 2

            親鸞聖人と板敷山の物語(紙芝居) 2 親鸞聖人の法然上人との離別、越後への流罪などを経て、やがて関東に赴かれました。関東での布教は常陸の国にある稲田の草庵を中心にして各地に出掛けて念仏の教えを広めました。この地方は昔から修行によって呪術を学び、加持祈祷をする修験道がさかんでした。修験道は祈りや呪いによって病気や災難を除き欲望を満たそうとする教えですから聖人の説く念仏の教えとは相容れない教えです。
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 聖人の熱心な布教によって、稲田の草庵には阿弥陀如来の救いの本願を求めて多くの人々が集まり、弁円(べんねん)の教える加持祈祷をたのむ人が減り、山伏たちは苦々しく思うようになりました。
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 聖人49歳の秋のこと、山伏弁円は聖人をこらしめようと、板敷山で待ち伏せしましたが、すれ違いばかりで出会えず、ついに聖人の居る稲田の草庵まで乗り込んで来ました。そして大声で「親鸞おるか出てこい」と怒鳴り込みました。
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 このただ事ならぬ声を聞いた聖人は、何の気構える様子もなく、静かな態度で対応されました。この聖人の和顔に接した弁円は、今の今まで持っていた聖人への敵意がいっぺんに消えてしまい、とたんに聖人のおん前にひれ伏してしまい、聖人こそ生身の仏様であるとあがめ、刀剣を捨て、これまでを悔やんで聖人の弟子になって、念仏の教えに帰依することになりました。
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 弁円は聖人より明法(みょうほう)という法名を授かり、聖人の膝元で聞法に励みました。絵の場面は、かつては聖人の殺害を企てた板敷山に、聖人の帰りを待つ明法房弁円で「山も山 道も昔に変わらねど 変わりはてたる我が心かな」と歌った弁円の姿です。
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by butda2 | 2017-04-21 13:10 | Trackback

親鸞聖人の生涯と物語  1

            親鸞聖人の生涯と物語(紙芝居)1

 大正8年に編纂された「親鸞聖人御絵傳」を参考にして、親鸞聖人の生涯について絵を描くのが得意な法務員に、紙芝居風に絵を描いてもらい、寺の法座で活用することにしました。
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 親鸞聖人は、平安時代も終わりに近い承安3年(1173)の春、京都の里で誕生された。父は藤原の流れをくむ曰野有範(ひのありのり)、母は源氏の子孫、吉光女(きっこうひめ)で、幼名を松若麿(まつわかまろ)といいました。父は聖人4歳のとき、母は8歳のときに病で亡くなられ、叔父の範綱に養育され、間もなく出家を志し、粟田口の青蓮院 慈鎮和尚(じちんおしょう)のもとを訪ね、出家し、名を範宴(はんねん)と名ずけました。得度(とくど)が夜遅くなったので明日に延ばそうとしたとき聖人が歌ったのが「明日ありと思うこころのあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」の歌です。
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  得度の後、聖人9歳のとき、比叡の山に登り、主に横川(よかわ)堂僧として20年間「生死いづべき道」を求めて厳しい学問と修行に励みました。しかし、「いずれの行も及び難く」自力の修行では仏道をきわめることができませんでした。i
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 建仁元年(1201)、聖人29歳のとき、比叡山では悟りに至る道を見出すことができず、山を下りて京都の六角堂に参籠され、救世観音の教示を仰ぎ、95日目の暁に東山の吉水で本願念仏の教えを説く法然上人のあるという夢告を受けた。
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 やがて聖人は吉水の法然上人のもとに約100日間通い続け、阿弥陀如来の救いの本願、念仏往生の誓願の心に信順し、ついに「たとえ法然上人にだまされて地獄に堕ちても後悔しない」とまで思いを定め、断ち切っていく道ではなかった、救われていく道であったと弥陀の本願を信じ、念仏を喜ぶ身となりました。

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by butda2 | 2017-04-19 11:52 | Trackback

写経講座の開設

                書いて味わう写経

 平成29年度専念寺の新しい計画の一つに「書いて味わう写経講座」を開設しました。 第1回の講座が先日4月5日(水曜日)、伊勢堀院寺務所において開催されました。なお、当日の参加者は16人でした。
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 最初に寺務所の仏前に参り、「御文章」を拝読してから、住職の「御文章」についての説明をきき、早速御文章の「聖人一流の章」を書写しました。
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 「御文章」は、本願寺第8代の蓮如上人が折に触れて門信徒に与えられたお手紙で、後世に伝えられたものは、80通をまとめて、浄土真宗の教えを簡潔、平易な言葉で綴って示されました。
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 やがて、この「御文章」は蓮如上人ご自身の発案で、門信徒の集会の場で朗読するようにと決められて、その朗読を推奨されました。これが今日の「御文章拝読」の作法の始まりです。
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 当日参加された方の中には、南日本新聞の「みなにのカレンダー」の「学ぶ」の欄に小さく掲載された記事を見て、旧加世田市から参加された方がありました。
 約1時間半、熱心に書写され、満足していただきました。これからも、毎月第1水曜日午後1時半から伊勢堀院寺務所にて行います。希望の方はどうぞご参加してください。

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by butda2 | 2017-04-06 16:42 | Trackback