ことだま日記

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親鸞聖人の生涯と物語 2

            親鸞聖人と板敷山の物語(紙芝居) 2 親鸞聖人の法然上人との離別、越後への流罪などを経て、やがて関東に赴かれました。関東での布教は常陸の国にある稲田の草庵を中心にして各地に出掛けて念仏の教えを広めました。この地方は昔から修行によって呪術を学び、加持祈祷をする修験道がさかんでした。修験道は祈りや呪いによって病気や災難を除き欲望を満たそうとする教えですから聖人の説く念仏の教えとは相容れない教えです。
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 聖人の熱心な布教によって、稲田の草庵には阿弥陀如来の救いの本願を求めて多くの人々が集まり、弁円(べんねん)の教える加持祈祷をたのむ人が減り、山伏たちは苦々しく思うようになりました。
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 聖人49歳の秋のこと、山伏弁円は聖人をこらしめようと、板敷山で待ち伏せしましたが、すれ違いばかりで出会えず、ついに聖人の居る稲田の草庵まで乗り込んで来ました。そして大声で「親鸞おるか出てこい」と怒鳴り込みました。
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 このただ事ならぬ声を聞いた聖人は、何の気構える様子もなく、静かな態度で対応されました。この聖人の和顔に接した弁円は、今の今まで持っていた聖人への敵意がいっぺんに消えてしまい、とたんに聖人のおん前にひれ伏してしまい、聖人こそ生身の仏様であるとあがめ、刀剣を捨て、これまでを悔やんで聖人の弟子になって、念仏の教えに帰依することになりました。
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 弁円は聖人より明法(みょうほう)という法名を授かり、聖人の膝元で聞法に励みました。絵の場面は、かつては聖人の殺害を企てた板敷山に、聖人の帰りを待つ明法房弁円で「山も山 道も昔に変わらねど 変わりはてたる我が心かな」と歌った弁円の姿です。
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# by butda2 | 2017-04-21 13:10 | Trackback

親鸞聖人の生涯と物語  1

            親鸞聖人の生涯と物語(紙芝居)1

 大正8年に編纂された「親鸞聖人御絵傳」を参考にして、親鸞聖人の生涯について絵を描くのが得意な法務員に、紙芝居風に絵を描いてもらい、寺の法座で活用することにしました。
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 親鸞聖人は、平安時代も終わりに近い承安3年(1173)の春、京都の里で誕生された。父は藤原の流れをくむ曰野有範(ひのありのり)、母は源氏の子孫、吉光女(きっこうひめ)で、幼名を松若麿(まつわかまろ)といいました。父は聖人4歳のとき、母は8歳のときに病で亡くなられ、叔父の範綱に養育され、間もなく出家を志し、粟田口の青蓮院 慈鎮和尚(じちんおしょう)のもとを訪ね、出家し、名を範宴(はんねん)と名ずけました。得度(とくど)が夜遅くなったので明日に延ばそうとしたとき聖人が歌ったのが「明日ありと思うこころのあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」の歌です。
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  得度の後、聖人9歳のとき、比叡の山に登り、主に横川(よかわ)堂僧として20年間「生死いづべき道」を求めて厳しい学問と修行に励みました。しかし、「いずれの行も及び難く」自力の修行では仏道をきわめることができませんでした。i
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 建仁元年(1201)、聖人29歳のとき、比叡山では悟りに至る道を見出すことができず、山を下りて京都の六角堂に参籠され、救世観音の教示を仰ぎ、95日目の暁に東山の吉水で本願念仏の教えを説く法然上人のあるという夢告を受けた。
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 やがて聖人は吉水の法然上人のもとに約100日間通い続け、阿弥陀如来の救いの本願、念仏往生の誓願の心に信順し、ついに「たとえ法然上人にだまされて地獄に堕ちても後悔しない」とまで思いを定め、断ち切っていく道ではなかった、救われていく道であったと弥陀の本願を信じ、念仏を喜ぶ身となりました。

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# by butda2 | 2017-04-19 11:52 | Trackback

写経講座の開設

                書いて味わう写経

 平成29年度専念寺の新しい計画の一つに「書いて味わう写経講座」を開設しました。 第1回の講座が先日4月5日(水曜日)、伊勢堀院寺務所において開催されました。なお、当日の参加者は16人でした。
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 最初に寺務所の仏前に参り、「御文章」を拝読してから、住職の「御文章」についての説明をきき、早速御文章の「聖人一流の章」を書写しました。
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 「御文章」は、本願寺第8代の蓮如上人が折に触れて門信徒に与えられたお手紙で、後世に伝えられたものは、80通をまとめて、浄土真宗の教えを簡潔、平易な言葉で綴って示されました。
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 やがて、この「御文章」は蓮如上人ご自身の発案で、門信徒の集会の場で朗読するようにと決められて、その朗読を推奨されました。これが今日の「御文章拝読」の作法の始まりです。
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 当日参加された方の中には、南日本新聞の「みなにのカレンダー」の「学ぶ」の欄に小さく掲載された記事を見て、旧加世田市から参加された方がありました。
 約1時間半、熱心に書写され、満足していただきました。これからも、毎月第1水曜日午後1時半から伊勢堀院寺務所にて行います。希望の方はどうぞご参加してください。

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# by butda2 | 2017-04-06 16:42 | Trackback

山寺の春を彩る

            山寺の春を彩る木蓮と岩ツツジ              
 今年の冬は例年になく寒さが厳しく、3月の末までストーブを使いました。桜の開花の報告が聞かれますが、山寺の桜のつぼみはまだ固く閉じています。
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 しかし、春は着実に一歩一歩近づき、境内の「白木蓮」の大木は一杯の花を咲かせました。遅霜が弱かったせいか、今年は最後まで花を見ることが出来ました。境内から離れた所からも眺めることができます。
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 濃い紫の花を毎年付ける「岩ツツジ」は、山寺の春のシンボルです。一段高い境内の道路ぎわにある岩ツツジは、道行く人々の注目の的です。私が4年前の3月に始めたブログの最初が、この「境内の岩ツツジ」でした。
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 2月の初めから咲き始めた境内の椿は、今もなお咲き乱れており、毎朝の掃除に手をやいています。八重の花弁の椿はほとんど実を付けません。一重の花弁の椿には必ず実を付けます。一重の山椿には一杯の実を付けるので、集めている人に差し上げます。

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# by butda2 | 2017-03-31 10:55 | Trackback

彼岸会の法話ー法務員初出座

         彼岸会の法話を法務員が初めて担当する 現在、専念寺では法務を担当する人が5人いる。住職、前住職、前住職の弟(特別法務員)それに通信教育を受講している法務員2人(男性1人、女性1人)である。
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  男性の法務員は2年間、女性の法務員は約1年間法務を実践して、それぞれの家庭の年回法要は担当して来ましたが、彼岸会などの法座は担当しませんでした。
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 3月の春の彼岸会(3日間)では、5人がそれぞれ1座ずつ担当することを話し合い、事前からその準備をしてきました。 さいわい、2人の法務員は、男性はギターができます。女性の法務員は絵を描くのがとても上手です。それぞれが特技を生かして初法座を勤めることにしました。
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 特に絵描きの女性法務員は、中国の善導大師の説いた「二河白道」(にがびゃくどう)の絵を描いて、旅人が最期に阿弥陀如来の救いの呼び声やお釈迦様の勧めに従って救われた話をしてくれました。
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 一方、男性法務員は、法話の終わりに、五木の子守唄の節で「念仏子守唄」をギターを伴奏にして参詣者と一緒に歌って座が和みました。 5人の者がそれぞれ法話を担当して、参詣者もとても喜んでいただきました。

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# by butda2 | 2017-03-30 14:17 | Trackback

平成29年度の専念寺活動

          平成29年度・専念寺の寺院活動の案内

 専念寺では「多くの人々に親しまれる寺院」を基本に、これまで以上に住民に寄り添った寺院活動を充実させるため、次のような「寺院活動計画」を立てました。
 皆様のご参加をお待ちしています。

1、「仏事の無料相談」 *葬儀、納骨、墓じまいなど *先亡者の供養、お布施などの 仏事に 関する相談など。

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2、「写経講座」の開設 *4月より毎月1回(第1水曜日)伊勢堀院寺務所にて、午後 1時半より約1時間 *最初は「御文章」から始めます。 *テキスト代1000円
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3、「ブディスト サロン」の開設 *4月より毎月1回(第2月曜日)午後6時半  から約1時間 専念寺住職、前住職を交えて浄土真宗の学習。コーヒー代500円。 場所=「マドリッド カフェ」鹿屋市寿7ー5ー 13。電話090-4776-9 783。どなたでも参加できます。
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4、「土曜礼拝」の継続 *毎週土曜日 伊勢堀院本堂にて読経と住職、前住職による 法話。4月~9月(朝7時より約30分) *10月~3月(朝7時半より約30分)  どなたでも参加できます。

*問合せ、仏事相談=専念寺099-479-1342 伊勢堀院=099-472  -3884 (受付=午前9時~午後3時)

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# by butda2 | 2017-03-15 11:18 | Trackback

「土曜礼拝」800回記念

         専念寺・伊勢堀院「土曜礼拝」800回記念 
平成13年6月に専念寺分院・伊勢堀院の本堂が落成しました。分院本堂の落成を記念して、最初に始めたのが「土曜礼拝」でした。 第1回は、平成13年6月9日(土曜日)、11人の方が参加してスタートしました。
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 以来、今日まで約16年間、毎回20人前後の方々が参加して、休むことなく毎週土曜日、開催して来ました。浄土真宗の教えを、できるだけ多くの人たちに学んでいただきたい。門徒の枠を超えて誰でも参加できるように門戸を開いてきました。
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 伊勢堀院本堂の落成を記念して、友人で歌人の南史郎(石附達郎)氏が、次の歌を寄せてくれました。 「門徒われら 共に語らい学ばんと 伊勢堀の初夏の朝明け」。伊勢堀をみんなの語らい、学びの場にしてもらいたいという、氏の願いを込めた歌であります。
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 当日は、何時ものように全員で「正信偈」をあげた後、前住職の法話を聞いた後、参加者からの花束贈呈、記念写真撮影、そして茶話会をして終わりました。 これからまた、900回に向けて「土曜礼拝」を続けてまいります。

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# by butda2 | 2017-03-12 17:45 | Trackback

薩摩の隠れ念仏

             大魯和尚の教えが今も
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 幕末に本願寺に起こった教義上の問題「三業惑乱(さんごうわくらん)」の論争に破れた大魯和尚は、難を逃れて薩摩の地に身を隠しながら、浄土真宗の教えを広めた。その功績を偲んで、南日本新聞の「ひろば」に投稿し、先日掲載されたので再掲いたします。
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     「大隅の地に大魯の教えが今も」(H29、2、23掲載)
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 「さつま人国誌」の「大魯和尚の来薩」を読んだ。薩摩藩の一向宗禁制下で、浄土真宗の布教を熱心に行った大魯和尚の功績について、再認識させられた。
 大魯が来薩にいたった経緯については記述されている通りである。本願寺の信仰のあり方を問う「三業惑乱」に連座して、追放されたことに起因している。肥後を経て薩摩の各地に身を潜めたが、最後は旧吹上町の永吉で「細布講(ほそぶこう)」や「煙草講(たばここう)」等を組織し、ひそかに教化に努めたようである。
 私は以前、吹上町の文化財審議委員をした増田逸彦著の「吹上の民話」を読んだ。念仏禁制の中、大魯が民衆に念仏の教えを広めたというその中に、教化を受けた一人、井久保竜蔵が伊集院の仕置き場で拷問を受けたという記述があつた。
 明治の初めごろ、永吉から旧志布志町田之浦に石工として移住し、この地に念仏の教えを広めた井久保次郎左エ門は、一族ではないかといわれている。 一昨年、井久保家の子孫と一緒に、大魯の墓に参った。井久保家を訪ねたが既に住む人がなく墓参しかできなかった。大魯の教えが大隅の地に今もなおいぶいていることを思い起こし、その功績の偉大さをしのぶことができた。       (以 上) 

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# by butda2 | 2017-03-01 14:03 | Trackback