ことだま日記

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山月会「一泊二日の小旅行」3

               「一泊二日の小旅行」を楽しむ
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 私ども8家族で15年前に結成した山月会の「小旅行」は、10月8、9日に、熊本、天草の一泊二日の旅行を行い楽しく終えました。
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 旅の楽しみは、史跡などの見学もさることながら、ホテルやレストランなどでの食事、つまり、たべることです。熊本のレストラン「浜勝」での昼食、ホテル「きらら亭」のエビの活造り、帰りの牛深のレストラン「あおさ」での海鮮料理などなど、年令やダイエット、さらには痛風などの持病すべてを忘れて、みんなよく食べました。
 
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 ホテルでの遅くまでの語らい、バスの中でも飲みながらのおしゃべり、高齢者ばかりの会員が、歳など忘れて、はしゃぎました。みんな若返って、ニコニコしながら、また、来月の例会での集まりを約束して、それぞれ帰宅しました。
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 ただ、心に残るのは、熊本城の無惨な姿でした。一日も早い復興を願うばかりです。 「合掌」
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# by butda2 | 2017-10-12 08:56 | Trackback

山月会「一泊二日の小旅行」2

               「天草ロザリオ館」を訪ねて

 私たち「山月会小旅行」の二日目は、天草の宿「きらら亭」を後にして「天草ロザリオ館」などを訪ねて帰路につきました。
 「天草ロザリオ館」は、キリシタン禁制にともなうその弾圧と、多くの歴史資料を展示していました。「ロザリオ」とは、カトリック教徒が祈りに使う一種の数珠の意で、ポルトガル語だそうです。
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 「天草ロザリオ館」のある熊本県天草市天草町大江地区は、天草島原の乱で全滅したと思われていたキリシタンが、160年余りの時を経て多数発見されたキリシタンの里です。資料によると、1587年にキリシタン禁教令が発布されて以来、明治時代に禁制が解かれるまで、厳しい弾圧に耐え忍びながらも、およそ300年間、この地の信者たちは人知れず信仰の灯を守り続けました。また、キリシタン解禁後、この地に天主堂が建てられ、キリシタン復活の中心地となりました。
 
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 キリシタン資料館「天草ロザリオ館」は、こうした天草キリシタンに関わる貴重な品々を集めた資料館です。ロザリオ館の方から説明を聞きながら、弾圧にもめげない、命がけの強い信仰心に胸を打たれると共に、薩摩藩の厳しかった「念仏禁制」「仏教弾圧」を思い浮かべました。
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 天草の観光を終えて、牛深港から長島を経て志布志に向かいました。
 
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# by butda2 | 2017-10-11 06:45 | Trackback

山月会「一泊二日」の小旅行

             グループ「山月会」の一泊二日の小旅行
 
 平成14年に8家族で結成された私どものグループ「山月会」は、今年で15年なります。毎月第3月曜日に集まるため、第3の月曜日から「3」を「山」に置き換えて「山月会」と名付けました。

 毎月、第3月曜日に集まって夕食を共にしながら、近況を語り合って、懇親を深めています。日帰りの旅行は数回行いましたが、一泊二日の旅行は久し振りでした。会員はほとんどが60歳後半から82歳までの高齢者ですが、それでも現役の者もいますので、泊を伴う旅行は日程がなかなか合いません。今回、メンバー10人の都合が合い、バスを借りきって熊本、天草の一泊二日(10月8日、9日)の旅行が実施出来ました。
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 1日目は、熊本の震災からの復興を確認するために、まず「水前寺公園」に行きました。震災で水が干上がったと聞いたかとがあるけれども、公園はすっかり元通りになり、鯉たちが何事もなかったかのように、スイスイと泳いでいました。
 
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 次に、一番気にしていた熊本城に行きました。入場は入り口まででしたが、写真で伺われるように無惨な姿が今もなお残されていて、心が痛みました。城は天守閣を遠くから見ることが出来ました。天守閣の姿が見られてホットしました。一日も早い復興を望むばかりでした。
 2日目は明日にいたします。
 
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# by butda2 | 2017-10-10 11:29 | Trackback

彼岸花(曼珠沙華)

            彼岸を忘れない彼岸花(曼珠沙華)

 「人はいざ忘れずに咲く彼岸花」(人はどうなのか知らないが、彼岸花だけは、秋の彼岸を忘れないで毎年咲いてくれます)これは私が作った川柳です。
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 山寺の境内に咲く彼岸花は、今年も彼岸の数日前から咲き始め、彼岸の中日にはほとんど満開になりま
した。境内に咲く彼岸花は、赤、黄色、白の三種類で
 9月の上旬頃は「秋きぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞ驚かれぬる」(古今和歌集=藤原敏行)と、何となく秋をそよぐ風で感じましたが、彼岸花が咲くと、秋を実感します。
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 毎日夕方6時に梵鐘を撞(つ)きますが、だんだん薄暗くなり、虫の音が大きくなります。清少納言あお「枕草子」の一節を口ずさみます。「秋は夕暮れ夕日のさして 山のはいとちこうなりたるに からすのねどころへいくとて 三つ四つ 二つ三つなど飛びいそぐさえあはれなり ・・・日入りはてて風のおと虫の音などはたいうべきにあらず」(間違ってないかな)
 秋は何となくものお思いにしずみそうです。もうすぐ十五夜です。
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# by butda2 | 2017-09-29 20:15 | Trackback

お持ち帰り「法語カード」

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                お持ち帰り「法語カード」の設置
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 当寺専念寺では、浄土真宗の布教活動として、現在「土曜礼拝」「書いて味わう写経」講座、鹿屋市の喫茶店で行う「ブディストサロン」などを行っていますが、み教えをもっと積極的に広める手立てとして、み教えを短くまとめた「法語カード」を作成して、お持ち帰りしていただくことにしました。
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 これまで作成した「法語」は「何年生きたかではない どう生きたかだ」「行き先がわかれば行き方がわかる 往き先がわかれば生き方がわかる」「み教えにあうことなしに生きた百年よりも み教えにあって生きた一日が尊い」「晴れてよし、降ってよし、今を生きる。」「ご先祖はあなたの中に生きてます」などや「微笑みに勝るきれいな化粧なし」などなどをB6大に書いてホルダーに入れ、約20種の法語を作成しました。

 専念寺や伊勢堀院の本堂をはじめ、納骨堂、それに市内の病院、歯科医院、薬局、美容院など寺以外の施設5か所にカードをおいて「お持ち帰りください」と書いて、持ち帰って頂いています。
 たても好評で、補充するのに追われています。ホルダーは百均(16枚入り)を利用しています。
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# by butda2 | 2017-09-17 17:22 | Trackback

ヤッター初掲載だ

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        「ヤッター初掲載」(毎日新聞鹿児島版「はがき随筆」より)

 私は昨年の9月から、一念発起して、毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に投稿を始めました。はがきに3~5句を書いて2~3日おきに投稿していますがなかなか採用されません。
 「仲畑流万能川柳」は毎日新聞の1面にあります。毎日18句が掲載されていますが、なかなか採用されません。毎月1万数千通の投稿があるようです。ある日の川柳に「載りにくい何故なら万流(これ)は全国区」とありましたが、全国の万能川柳フアンが没に悩みながら挑戦しています。
 私も、投句を初めて約1年、ようやく掲載にこぎつけました。その喜びを毎日新聞鹿児島「はがき随筆」に投稿し、それが掲載されましたので、紹介します。
 
          「ヤッター初掲載」(平成29年9月12日掲載)

 ヤッター。あれから約1年。2、3日おきに3から5句を投句し続けてきた。それが今朝、ついに掲載されているではないか。勇躍大歓喜。驚いた。
 私は昨年の9月から「仲畑流万能川柳」への投句を始めたが没ばかり。やめようかと思ったが意地になって続けている。これを2月「密かなる挑戦」と題して「はがき随筆」に書いた。
 7月21日。「傘寿過ぎガンの検診止めました」愚凡法明。これが私の「万柳」デビューである。句の出来ばえより掲載されたことに意義があるのだ。早速随友から祝詞が来る。没にめげぬ忍耐力はこれに限る。(以上)
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# by butda2 | 2017-09-13 11:40 | Trackback

南日本新聞「ひろば」より

            「思い出す玉音放送を聞いた日」

 南日本新聞の「ひろば」欄に投稿していた「思い出す玉音放送を聞いた日」が、去る8月15日(終戦記念日)に掲載されていましたので、下記に転載します。     
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   「思い出す玉音放送を聞いた日」(H29、8、15)

 1945年8月15日。日本国民にとって忘れられない日である。
 前日の夜から、15日正午重大なラジオ放送があることをNHKが報じていた。つまり、終戦の詔「玉音放送」のことであった。当日は家族全員ラジオの前に集まり、父は直立、私たちは正座して放送を聞いた。
 私は当時国民学校4年生であった。天皇陛下の肉声を聞くのは初めてで、どこか校長先生が儀式の際に、教育勅語を読む調子に似ているような気がした。耳慣れない言葉が多く「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」以外はほとんど覚えていない。
 放送が終わって、父が静かに「戦争が終わった」と言った。当時40歳を過ぎていた父は在郷軍人として、米軍の志布志湾上陸に備えて、連日竹やりで軍事訓練をしていた。訓練に参加していた父は、敗戦を予感していたのではないかと感じた。
 この放送があった日を境に、父の軍事訓練も、私たちの勤労奉仕もなくなった。不思議に世の中が静になり、子供心に平和を実感した。(志布志市 一木法明 82) 
以上
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# by butda2 | 2017-08-19 15:59 | Trackback

教え子の古希同窓会

       教え子(松山中=志布志市)の古希同窓会に招かれて

 鹿児島県旧松山町立松山中学校を昭和38年に卒業した教え子達が、70歳を迎え、いわゆる「古希同窓会」が、志布志市のホテルで開催され、招かれて参加しました。
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 古希同窓会の資料によると、昭和38年の卒業生は233人で5クラス。1学級46人もいた団塊の世代の連中。全校生徒は692名で、15クラスもあったようです。 当日の参加者は、関東や中京、関西などから同窓生が60人。恩師は4名で、64人が参加しました。
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 私は、串木野市の荒川小学校から転勤して、彼らが中2の時から担任して、卒業時まで担任しました。
 団塊の世代の彼らは、日本経済の担い手として、卒業と同時に約半数が、中京、関西地区に集団列車で就職して行きました。
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 彼らは私とは年令が12歳、丁度一巡り違いで、干支(えと)は大半が同じ亥(いのしし)ううm生まれ。いろいろな学年を担任したけれども、特に気が合う学年の一つです。
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 還暦同窓会の後も、これまで名古屋や東京で開かれた同窓会にも出席したりして絆を深めてきました。次回の全体の同窓会は7年後の喜寿の時らしいけど、私はそれは無理です。
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 地元に在住する実行委員の綿密な企画により、教え子達の楽しい、思い出に残る古希同窓会を過ごしました。皆さんありがとう!私の施本「ブディスト川柳」を楽しんでください!

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# by butda2 | 2017-08-14 16:10 | Trackback