浄土真宗の開祖・親鸞聖人の教え
浄土真宗の教えに「悪人正機」ということばがあります。この悪人正機の教えは、浄土真宗の教義の中でも、重要な意味を持つ思想で、「悪人」こそが阿弥陀如来の願い(「本願」)による救済の目当て(対象)であるというのです。
つまり、阿弥陀如来が救済したい対象は「衆生」であります。すべての衆生は、現実の世の中(これを仏法では「末法濁世」といいます)を生きる、煩悩だらけの凡夫(「煩悩具足の凡夫」)である「悪人」であります。
よって、自分こそは「悪人」であるということを自覚するものこそが、阿弥陀如来の救済の対象であるというのであります。
ところで、浄土真宗でいう「悪人」とは、刑法的な、或いは倫理的な「悪人」をいうのではありません。自分をよくよく振り返ってみますと、何事に対しても自分の我欲にとらわれ、善悪のすべてが、自らの利害を基準にして判断しています。
自分が気に入らなかったら人を憎み、「あの人は悪い人」と言います。時には人を殺してしまうような心にもなります。こんな心をもっている「悪人」は、私であります、ということの理解できない人には「悪人正機」の教えは伝わりません。
どんなに修行し努力しても、煩悩(我執)から離れられない私のような「悪人」こそが、阿弥陀如来の救済の対象であった、という教えを「悪人正機」といいます。
時には、自らを振り返ってみることも大切ではないでしょうか。
親鸞聖人の掛け軸(熊皮の御影)