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ことだま日記

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薩摩の隠れ念仏

              旧薩摩の念仏禁制

 旧薩摩藩においては、江戸時代から明治9年の念仏解禁にいたるまでの300年間、島津の領内では一向宗(浄土真宗)の教えは厳しく禁じられていて、信者の疑いのある者は捕えられて自白を強制されました。
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 本願寺鹿児島別院の境内にあるこの「石」は、そのために用いられたもので、役人たちは信者にこの石を抱かせて、自白を迫ったと伝えられています。そのため、信者たちの「苦しみの涙がそそがれた石」という意味で「涙石」と呼ばれています。

 私ども龍谷大学の同期生(昭和29年入学の同期生)は、2年に1回の割合で各地を会場にして同窓会を行っていますが、一昨年の札幌に続いて、今年は鹿児島市を会場に1泊2日の日程で開催されました。
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 1日目の午後、開会行事の後「薩摩の隠れ念仏」のビデオで「薩摩藩の念仏禁制」について学習して、2日目に「都城盆地の隠れ念仏」の歴史とその遺跡について、隠れ念仏の研究者である、同期生の佐々木芳麿住職の寺「安楽寺」に参拝して、かつて薩摩藩であった都城の諸県(もろかた)地方の「隠れ念仏の歴史とその遺跡」について研修しました。
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 隠れ念仏のゆかりの寺である「安楽寺」の境内には、当時の信者を取り調べた「拷問石」が保存されていました。疑いのある者を捕らえて、他の信者を拷問して白状させる取り調べで、割れ木の上に正座させ、拷問石を載せて白状を迫る。足は砕けて死にいたっても、隠れ念仏者は白状しなかったという。

 薩摩藩がここまでして浄土真宗を排斥したのはいくつかの理由があるけれども、特に、浄土真宗の教える平等思想と、信者の団結力(「講の力」)が薩摩の封建体制にそぐわなかったことが大きな理由と考えられます。 信者の強い信念と犠牲の上に今日の浄土真宗が存続されていることを顧みる機会となりました。

by butda2 | 2014-10-14 10:53