ことだま日記

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日本画家-平山郁夫展

             日本画家-平山郁夫展
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 都城市立美術館で行われています平山郁夫展(10月20日→12月2日)に先日(10月27日)、夫婦同伴で行って来ました。
 作品の展示は広島の原爆や法隆寺の壁画を初め仏教遺跡、シルクロードの遺跡のスケッチ、砂漠の風景、さらに、ガンダーラなどの仏教遺跡のコレクションなどなど。数百点の作品の展示に驚きました。
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 平山郁夫画伯の経歴を紹介します。画伯は昭和5年広島の生まれ。中学3年の時広島で被爆。昭和27年東京美学校(東京芸大)日本画科を卒業。29歳の時院展に❬仏教伝来❭が入選し画家としての本当のスタートの転機になったと言われています。昭和43年に中央アジアの遺跡を取材してから、本格的なシルクロードの取材を始め、以来、100回以上の調査と取材を行っています。
 平成元年には東京芸大第6代学長に就任。平成16年に退任されるまで続けられています。その間、平成10年に、文化勲章を受章されています。
 館内は撮影禁止でしたので、買い求めたパンフレットの写真を添付しました。
 平山先生は、平成21年12月2日、79歳で亡くなられました。

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# by butda2 | 2018-10-28 14:14

第2回専念寺グラウンド-ゴルフ大会

         専念寺グラウンド-ゴルフ大会

 第2回専念寺グラウンド-ゴルフ大会は、去る10月24日(水)午後1時より志布志市ふれあい公園にて行われました。
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 この大会の趣旨は[開かれた寺院活動の一環として、グラウンド-ゴルフを通して広く交流を図る]であります。
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 今年も201人の参加があり、昨年に続き盛大に行われました。
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 今年の大会の要項は▫参加費一人300円 ▫競技は2ラウンド(18ホール)
▫表彰は個人20位まで ▫ホールインワン賞 ▫飛び賞 ▫高齢者賞男女各1名 ▫BB賞など(団体賞なし)などでした。

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# by butda2 | 2018-10-25 19:28

讃岐の庄松(しょうま)さん(物語)

       讃岐の妙好人(みょうこうにん)庄松さんの物語
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 妙好人(念仏に篤く帰依した人)の一人、讃岐の庄松さんの話を紹介します。
庄松さんは讃岐の国(香川県)の貧しい小作人の子として明治4年に生まれました。生家が貧乏なため学校にも行けず、子守りや下男などして働き、生涯独身でありました。
 庄松は生来正直、実直で、在所の勝覚寺の住職に可愛がられ、やがて寺男として働き、それが縁で聞法に目覚め、やがては妙好人と呼ばれるほどの信心家になりました。始めは住職が❬お前は仕事ばかり、時には本堂に上がって、みんなと説教を聞きなさい❭と勧められると[私のようなみすぼらしい者はもったいないです]と言う。住職が❬親様の前じゃ、格好はいらん❭と、勧められ、聴聞して初めて仏様のお慈悲に出会い、以来、聴聞を唯一の喜びにしました。
 ある日のこと、庄松が余りにも熱心に聴聞するので、同行が意地悪に、文字の読めないことを知りながら❬庄松、えらい熱心に聴聞するが、このお経が読めるか❭と差し出すと、庄松はその経本を取るなり❬庄松を助けるぞ、庄松を助けるぞ❭と何度も繰り返し❬わしは文字は読めんが、お経のどこにも、庄松のような愚か者でも救うと説かれたのがお経だといただいている❭と言って周りの人を感心させたそうです。
 文字も読めなかった庄松さんが、妙好人とと呼ばれるようになったのは仏法の聴聞だったようです。


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# by butda2 | 2018-10-24 10:58

法名の伝達式

          本願寺で受式した法名の伝達式
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 去る10月11日、京都の本願寺で法名を受ける儀式、[帰敬式](ききょうしき)を受け、仏跡参拝者の法名伝達式を、10月20日午後5時から専念寺分院.伊勢堀院で行われました。
 帰敬式に参加した人は14人でしたが、仕事の都合で当日伝達式に参加した人は11人でした。

 法名は、亡くなってから授かるものだと思っている人がありますが、正しくは生きているうちに授かって、仏弟子として日々の生活に精進することが大切なのです。受式して法名をいただいた方々が、今まで以上に仏法に深く信仰されることを望みます。

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# by butda2 | 2018-10-21 19:39

私の川柳

[[][]            新聞に掲載された私の川柳

 私の川柳には、妻を題材にした川柳が多いので、まず初めに、家内に敬意を表して、家内の活けた生け花を紹介させていただきます。
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             家内の活けた自由花

 2018年以後分。南日本新聞に掲載された句で、自分でも気に入った句を数首掲載します。
  [川柳と出会って悩む82]     [明日ありと思う心で生きられる]
  [求めないすると没でも気に病まぬ] [煩悩を抱えたまんま終わりそう]
  [お浄土を描いてくれとせがまれる]  [玉音を聞いて竹槍置いた父]
  [炎天下ヒマワリだけが強すぎる]  [老妻にあげたい主演女優賞]

2018年以後分で、毎日新聞に掲載された句。
  [質問は与党の時は消している]   [森友で誰も飲まない針千本]
  [僕の句もファンブックに載っている]  [思い出が増えた分だけ後がない]

次は、河出書房出版の[シルバー川柳❬第9彈❭]に初投稿、初掲載された2句です。
  [嫁よりもババァの方が孕(はら)んでる]
  [あの世でも一緒になろうと言わぬ妻]

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# by butda2 | 2018-10-20 14:33

親鸞聖人の御旧跡参拝の旅

 浄土真宗の開祖-親鸞聖人は満9歳のとき出家され、比叡の山に上られ、約20年間にわたり学問と修業をされました。
 やがて、聖人は山を下りて、法然上人のもとで浄土門のみ教えにあ、念仏往生の道を極められました。
 今回、専念寺において、聖人の御旧跡を訪ね、旅の最後に本願寺において〔帰敬式〕(ききょうしき)=法名をいただく儀式ーを受ける旅を計画しました。
 旅行は今月10月9日~12日まで、3泊4日の日程で行いました。参加者は16人。有意義で、楽しい旅ができました。
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  比叡山の大講堂
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本願寺の朝のお勤め
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     西本願寺において
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東本願寺において
追伸=タブレットでブログを始めて5年余り。ついに機種が古くなりタブレットを新しくすることになりました。まだなれずに四苦八苦しています。


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# by butda2 | 2018-10-16 14:44

中秋の名月

             十六夜(いざよい)の名月 
  「月々(つきづき)に 月見る月は多けれど 月見る月は この月の月」
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 数年ぶりに十六夜の名月を眺めることが出来ました。毎年今夜こそと思い、老妻が遠くまで出掛けて、ススキやハギを取ってきて生け花に活けて月を待つのだが、残念ながら雲に覆われて眺めることがなかなか出来ない年が続いた。
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 今年の空は雲ひとつなく、まさに名月。中秋の十五夜になると、初めに書いた句をいつも思い出し、思わず口ずさんでしまう。1首の句の中に月を8回も使い、それぞれがそれぞれの意味合いを持っている。名句である。ところがこの名月を、我がタブレットでは綺麗に撮れない。ご覧の通りの名月。残念。
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 今年も老妻が、ススキやハギなどを集めて生け花を作り、お月様を迎えました。月明かりで撮ってみました。

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# by butda2 | 2018-09-28 06:21

肉づきの面

            法話ー肉付きの面(嫁おどしの面)
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 当寺の彼岸法要で、当寺の法務員が「肉付きの面」の物語を紙芝居にし、パソコンに取り込みテレビに写して参詣の人たちに聴いていただきました。
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  話は今から5百年昔のはなし、福井県の山奥、十勝村に与三治と妻のお清、それに姑の3人が住んでいました。子ども二人を病気で亡くしたのが縁で、お清は毎晩、吉崎の抄慶寺へ詣り、蓮如上人のご教化を受けていました。ところが、姑は吉崎へ詣るお清が気に入らず、ついに、ある晩お寺詣りを止めさせようとたくらみ、鬼の面をかぶり鎌を持って待ち伏せして脅しました。しかし、お清は「食めば食め、喰らわば喰らえ、金剛の他力の信心はよもや食むまじ」と口ずさみ念仏をとなえて通りすぎようとしました。姑は思いあまってお清を鎌で切りつけ、沼へ突き落とし、急いで家に帰りました
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 ]帰った姑は、すぐに面をはずそうとしますが、なかなか面が離れません。人の気配がして姑は押入れに隠れ、そこに与三治が帰って来ました。夜も遅く、寺から帰らぬ妻を気遣っていると、村人がお清の死骸を運んできました。与三治はびっくりしましたが、お清は気絶しただけでした。 
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 そうした様子をひそに見ていた姑はたまらず押入れから出て、自分の罪を悔いました。
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 嫁のお清は姑を優しく許し、蓮如上人のもとを二人で訪ね、上人の話を聞くや、姑の口より念仏が出るや、鬼の面がぽとりと落ち、以来姑はお清に劣らぬ念仏者なった話は以前はよく知られた法話でした。
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# by butda2 | 2018-09-25 07:44